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こんにちは。
お正月明け、いかがお過ごしですか?
私は今年激変する予感がしています。
何十年ぶりに病院へ行ったのですから。
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私はすべての種類の咳を経験した。大きな咳、小さな咳、静かな咳、あらゆる咳の狭間まで。咳の能力のピークにまで到達してしまったのだ。でも学んだのだ。咳と咳の間に、静寂の美があることを。
さて、2018年末、私は電車の中で咳をする女性の隣に座っていて、嫌な予感がして席を立ったが、不幸なことに私も2週間咳が止まらなくなった。鼻水も止まらない。しかし、体のだるさはないのである。普段健康な人がこんな状況に陥るとは、スピリチュアル的に意味があるのだろうか? 自分の内側に耳を傾け始めた。
毎日、咳というアウトプットをしていると、だんだん自分の中に何もなくなってきたような感覚に陥り始めた。今まで経験したことは、すべて無くなってしまったかのように。未来への期待も不安も消えた。これが無の境地というものなのか。
私はゼロポイントにいる。ゼロからなら、なんでもできるし、別人にだってなれる。私は生まれ変わった。蘇ったのだ。
すべての傑作は、空白のカンバスから始まるのだから。
★編集後記
英会話の先生が、私の原稿を読み終わって一言「これ、自殺する前の人のノートみたいだね。一つもポジティブがないよ。(笑)」と。私は「無の境地」はいい意味で書いたのですが、私を知らないで読んだ人のことを想定したら、確かに「このひとやばくない?」(笑)という文章だったでしょう。
ということで、私が咳の合間にポツリポツリと説明すると、そこからどんどん英会話の先生が言葉を付け加えてくれました。
なるほどね、詩というものはこんな風に書くのか! と勉強になってしまいました。自分がすべてをやろうとするよりも、余白を残しておいた方が、新しい風が入るのですね!
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