思考より先に、感覚が変わっていく話

体を整える、という言葉は曖昧だ。

けれど私は、長いあいだ意図せず、それを続けてきた。

カイロプラクティックに通い始めたのは14年前。

もともとは背中の痛みと側弯のケアがきっかけだった。

月に一度、体を調整する。

それ以上でも、それ以下でもない。

治そうとか、変わろうとか、

人生を良くしようと思っていたわけではない。

ただ、調整したあとの体の可動域が広がり、

日常がだいぶ楽になる。

それが心地よかった。

振り返ると、

あれは「治療」というより

体の状態をリセットする行為だったのだと思う。

思考も体も、過去を引きずる


人はよく、

「考え方を変えれば、人生が変わる」と言う。

けれど実際には、

思考も体も、同じように過去を引きずる。


頭では「次に行こう」と思っていても、

体が古い状態のままだと、

不安や違和感が先に立ち上がる。


だから私は、

完璧じゃなくても先に進む、という局面を

人生の中で何度も経験してきた。


アパレルの店長時代、

マニュアルを手放せと言われたときもそうだった。


先は見えなかった。

安心材料もなかった。

それでも、前と違う行動を取った。


不思議なことに、

行動に体が先に馴染み、

あとから思考が追いついてきた。



OSが変わると、説明が遅れる


そういえば、ジョー・ディスペンザ博士が

もともとカイロプラクターだったことを思い出した。

それを思い出した瞬間、

何か新しい知識を得たというより、

すでにやってきたことの意味が、あとから腑に落ちた

という感覚があった。


ディスペンザ博士は

「思考の前に、身体の状態を変える」と語る。


それは瞑想だけの話ではない。

  • 体を調整すること
  • ヨガで呼吸を戻すこと
  • 山を歩き、感覚に戻ること
  • 何もしない静寂の時間を持つこと

こうした行為はすべて、

思考を説得せず、

神経系のノイズを下げる。


その結果、

「何か違う」という感覚だけが残る。


「戻れない」のではなく、「違って見える」

よく言われる

「もう前には戻れない」という感覚。


私の場合、それとは少し違う。

戻れない、というより

前の感覚と、今の感覚が違って見える。


数日前に書いた文章を読んで、

間違っているとは思わない。

ただ、今の私はそこから書いていないと分かる。


これは決意でも、成長宣言でもない。

体のOSが先に更新され、

思考があとから追いつこうとしている状態だ。


体を置き去りにしない選択

思考だけで進むと、速い。

でも長くは続かない。


体を連れて進むと、

一見ゆっくりだが、

違和感で立ち止まることが少ない。


14年間、月に一度、

体をリセットしてきたこと。

それは結果的に、

人生のフェーズが変わるたびに、

体側からOSを更新し続けてきた

ということだったのかもしれない。


私はただ、

その時その時の状態に、

体を置き去りにしなかっただけだ。


そして今、

思考がようやくそれに追いついてきている。


もしこれを読んで

「言葉にできないけれど、わかる気がする」

と感じたなら、

たぶんそれは、

もう体のほうが先に知っている。

思考は、あとから来ればいい。

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