問題を解決しなくても、問題が消えることがある

問題は、解決しなければ消えないものだと思っていた。でも、対話の仕事を20年続ける中で、そうではない瞬間を何度も見てきた。何かが解決したわけではないのに、見え方が変わったことで、問題が問題ではなくなることがある。今日は、そのことについて書いてみたい。



なぜ、問題は急に軽くなるのか

長いこと、私は不思議に思っていた。

人はなぜ、たったひとつの問いや、ひとつの見方によって、急に軽くなるのだろう。何かが解決したわけでもない。現実が劇的に変わったわけでもない。それなのに、苦しかったはずの問題が、急に問題ではなくなることがある。

このことを、私は対話の現場で何度も見てきた。


私は“答え”より“見え方の変化”を見てきた

私は20年ほど、対話の仕事をしてきた。その中で何度も見てきたのは、「答えをもらったから前に進めた人」よりも、見え方が変わったことで、動き出した人だった。

最初の頃は、それをうまく説明できなかった。ただ、対話のあとに、相手の表情や呼吸や声のトーンが変わる瞬間がある。さっきまで「どうしよう、どうしよう」と言っていた人が、同じ現実の中にいながら、まるで別の場所に立っているみたいになる。

そういう瞬間を、私は何度も見てきた。

問題が解決したから軽くなったのではない。むしろ、問題の見え方が変わったことで、苦しさの握力が弱まっていく。私がずっと見てきたのは、その変化だったのだと思う。


バイロン・ケイティの4つの質問に驚いた理由

昔、バイロン・ケイティの「The Work」に触れたとき、私はかなり驚いた。

4つの質問によって、苦しみがほどけていく。そんなことが本当にあるのかと、半信半疑だった。

でも今なら、あのとき起きていたことが少しわかる。あれは単に「前向きになりましょう」と言っていたのではなく、問題を成り立たせている見え方そのものに光を当てていたのだと思う。

つまり、問題を直接いじっていたのではなく、その問題が“問題として成立している構造”を見ていた。

当時の私はまだ、それをそんなふうには言語化できなかった。でも今振り返ると、あの驚きはたぶん、「問題そのものではなく、その奥を見る」という視点に触れた驚きだったのだと思う。


問題を成り立たせている構造を見る

私は長い間、この“構造で見る”ということを、自分でも探りながらやってきた。最初からその言葉を持っていたわけではない。でも、対話を重ねるうちに、少しずつわかってきた。

人はよく、起きた出来事そのものに苦しんでいるように見える。でも実際には、苦しさを生んでいるのは出来事だけではない。

その出来事をどう意味づけているか。どんな前提で見ているか。何を脅かされたと感じているか。何を失うことを恐れているか。

そういうものが絡み合って、「問題」ができあがっている。

だから、問題を解決しようとしなくても、その見え方が変わると、問題は問題のままではいられなくなる。

問題が消える、というより、問題を支えていた見え方がほどけて、別の現実が立ち上がってくる。そういうことがある。


問題のように見えて、別のことが起きている

私はこれを、何度も見てきた。

たとえば、誰かの「拒絶」に見えたものが、実は「自立」の始まりだったりする。「悪化」に見えた出来事が、回復のプロセスの一部だったりする。「動けない」という悩みが、怠慢ではなく、まだ安全が足りていないサインだったりする。

表面だけを見ていると、そこには問題しかない。でも、少し引いて構造を見ると、別のものが立ち上がってくる。

ここが私にとって、とても大事なところだ。

なぜなら、問題を解決することばかり考えていると、人はすぐに自分や相手を「直す対象」にしてしまうから。もっとちゃんとしなければ。もっと頑張らなければ。ここを改善しなければ。

そうやって、苦しみの上にさらに苦しみを積んでしまう。

でも、もし今起きていることが、壊れている証拠ではなく、何かが動いている途中なのだとしたら。もし「困ったこと」の奥で、別のプロセスが進んでいるのだとしたら。見え方はまったく変わる。


立ち位置が変わると、現実も少しずつ変わり始める

不思議なことに、現実がすぐに変わらなくても、人の立ち位置が変わることがある。

立ち位置が変わると、返す言葉が変わる。返す言葉が変わると、関係が変わる。関係が変わると、現実も少しずつ変わり始める。

私はたぶん、この瞬間をずっと見てきたのだと思う。問題を解決する瞬間ではなく、問題の見え方が変わって、別の現実が立ち上がる瞬間を。

そして今、それをもう少し学べる形にしていきたいと思っている。


これから、見え方が変わる場所をひらいていきたい

これまでは、対話の中で自然にやってきたことだった。でも、長くやってきたからこそ、ようやくわかってきた。これは感覚だけのものではなく、ある程度は渡せるものなのだと。

相手を壊さずに、でも見え方を少しずらすこと。問題の表面ではなく、その奥の構造を見ること。起きたことにすぐ名前をつけるのではなく、それがどんなプロセスの途中にあるのかを見立てること。

そういうことを、私はこれから少しずつ言葉にしていこうと思う。


問題は、いつも「なくすもの」ではない。でも、見え方が変わることで、問題でなくなることがある。

私はそのことに、ずいぶん長く助けられてきたし、対話の現場でも、何度もそれを見てきた。

次に私がやっていくことも、ここにつながっている。

問題を解決するためではなく、問題の見え方が変わる場所をひらくことだ。


Art of Being | 堀口ひとみ

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