昨日、ふと気づきました。
私は15年前に選んだ言葉を、ずっと「今の私の在り方」だと思っていたのです。
「待つ」
「ゆっくりする」
「受け取る」
どれも悪くない。
だから、見直す理由がありませんでした。
昨日、満月を眺めながら、「待つこと」を手放すことにしました。
けれど、正確には、
待つことそのものを手放したわけではありません。
手放したのは、
待つしかない状態。
待つこと。
ゆっくりすること。
受け取ること。
どれも、悪い言葉ではありません。
むしろ、正しくて、美しくて、
ある時期の自分を助けてくれた言葉でした。
だからこそ、
それらがいつの間にか、自分の可能性を狭める設定になっていても、気づきにくかったのだと思います。
人は、悪いものなら手放しやすい。
無理をすること。
我慢すること。
自分を責めること。
頑張りすぎること。
苦しさがはっきりしていれば、
「そろそろ変えたほうがいい」と気づくことができます。
けれど、本当に更新されにくいのは、
正しくて、美しくて、
かつて自分を助けてくれた言葉です。
それらは、一度自分を救ってくれた実績があります。
だから疑わない。
見直さない。
むしろ、大切な信念として守り続けます。
人間は、不具合のある設定には警戒するのに、立派な設定には拍手して長期契約します。
良い在り方も、固定されることがある
「待つ」という在り方は、
焦って答えを出そうとしていた自分に、余白を与えてくれました。
「ゆっくりする」という在り方は、
速く進むことばかりを求めていた自分に、今を味わう時間を与えてくれました。
「受け取る」という在り方は、
自分から押し進めることに慣れていた自分に、流れを信頼する感覚を教えてくれました。
どれも必要な変化でした。
その言葉が間違っていたわけではありません。
ただ、長い時間が経つうちに、
待つことができる、ではなく、
待つ人である。
ゆっくりすることもできる、ではなく、
ゆっくり進む人である。
受け取ることができる、ではなく、
受け取る側である。
そんなふうに、
選べる在り方が、固定された自己設定へ変わっていたのかもしれません。
在り方は、正しいかどうかだけでは測れない
在り方を見直すとき、
「正しいか、間違っているか」で判断すると、更新できないことがあります。
なぜなら、
今もその言葉は正しいからです。
待つことは大切です。
ゆっくりすることも大切です。
受け取ることも大切です。
けれど、本当に見たほうがいいのは、
その在り方が、今の自分を開いているか。
それとも、知らないうちに閉じ込めているか。
ということなのだと思います。
正しい言葉であっても、
自由に選べなくなったとき、
それは在り方ではなく役割になります。
同じことは、待つこと以外の在り方にも起こります。
人を助けること。
善い人でいること。
家族のために尽くすこと。
相手を優先すること。
こうした言葉もまた、美しいものです。
けれど、それが自由に選べる行動ではなく、
「そうしていなければ、自分には価値がない」
「そうしていなければ、関係が壊れる」
「そうしていなければ、私は私でいられない」
という設定になったとき、
美しい言葉は、人を守るものから、人を縛るものへ変わっていきます。
表面に現れている行動は同じでも、
内側にあるものは違います。
自由から選んでいるのか。
恐れから続けているのか。
その違いは、外からはわかりにくいものです。
本人にも、なかなかわかりません。
善人の服は、よくできています。
着ている本人まで、中に不安が入っていることを忘れます。
手放すとは、否定することではない
手放すというと、
これまでの自分を否定するように感じることがあります。
けれど、役目を終えた在り方は、
間違っていたから手放すのではありません。
十分に働いてくれたから、更新する。
それでいいのだと思います。
待つことを手放すのではない。
待つしかない状態を手放す。
ゆっくりすることをやめるのではない。
ゆっくりすることしか選べない状態をやめる。
受け取ることを否定するのではない。
受け取るだけで、自分から手を伸ばさない状態を終える。
助けることをやめるのではない。
助ける人でいなければならない役割を降りる。
在り方が更新されると、
選択肢が増えます。
待つことも、動くことも。
ゆっくり進むことも、必要なときにすぐ動くことも。
受け取ることも、自分から取りに行くことも。
助けることも、助けないことも選べる。
その可動域が戻ってきたとき、
在り方は再び自由になります。
かつて自分を救った言葉を、今の自分へ返す
正しくて、美しい言葉ほど、更新されにくい。
それは、その言葉が悪いからではありません。
その言葉に、本当に助けられたことがあるからです。
だから、乱暴に捨てる必要はないのだと思います。
これまでありがとう、と伝えて、
今の自分に合う形へ書き換える。
「待つ」は、
必要なときには待てる。
「ゆっくりする」は、
自分の速度を選べる。
「受け取る」は、
受け取ることも、差し出すこともできる。
そんなふうに。
満月の下で手放したのは、
大切にしてきた言葉ではありませんでした。
その言葉だけが、
自分の在り方のすべてになっていた状態です。
待てる私が、動けばいい。
ゆっくりできる私が、
必要なときには、外の世界へ手を伸ばせばいい。
これまで育ててきた深さを失わずに、
もともと持っていた力も、もう一度使っていく。
在り方を更新するとは、
別の自分になることではなく、
使わなくなっていた自分の一部を、
今の自分の中へ迎え直すこと
なのかもしれません。
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