転職したいと考えているクライアントさんは、「なんかここは違う」という気持ちが、付きまとうのだそうです。その「なんか違うは何ですか?」と問うと、「自分はもっとレベルの高い仕事がしたい」とか、「環境や人のレベルが、自分が期待しているものではない」という違和感のようです。
そこで私は言いました。「転職して、外側を変えても、内側が変わらない限り『なんか違う』はずっと付きまといますよ。前回の転職のときも、ここは違うって言ってましたよね。それで転職をしても、またなんか違う、って繰り返しています。自分の物差しで測る傾向を手放さないと繰り返しますね」と。
そのジャッジは、相手の話を聴く時にも邪魔になっているようです。自分と意見が違うと思う時、「そういう考え方もありますね」という風に返すようです。でもそれは暗に相手を否定するニュアンスで受け取られる傾向もありそうです。
もちろん違う意見があっていいのですが、ジャッジを手放したうえで、コミュニケーションを取ろうと思えば、「なるほど、あなたの意見は理解できました」という返し方になるでしょう。共感的理解を示しているということです。
クライアントさんはなんとなく理解した状態で、自分の改善点について話は進んでいきました。
そして、「自分の内側のメンテが必要なのかな?」と言いました。私はすかさず、「そう思ったらそうなんですよ。なのかな~って、自分をジャッジしていますよ。ああ、そこですね、手放すことは」と、そこで現行犯逮捕となりました。(笑)
自分の中でふと思ったことがあったときに、そういえばいつも「・・・なのかな~。そうじゃないかもしれないし」と、語尾に葛藤が現れることが多かった気がします。
私の知人のメンタルトレーナーに、「・・・・かなと思う」と私が話すと、「ひとみちゃんがそう思ったら、そうなんじゃない?」と、よく念を押されました。そんなことを繰り返すと、自分の中に湧いてきた考えを否定しなくなり、「そう思ったらそう」が当たり前に感じられるようになったのです。
相手をジャッジしていた=自分をジャッジしていたのです。自分をジャッジしなくなるようになれば、相手のことも「相手がそう思ったらそう」と理解できるのではないでしょうか。そして、何しろ自分の直感を大切にできるでしょう。
「なんか違う」から「自分のジャッジを手放す」ことにつながるまで、50分くらいかかりました。これは、貴重な発見の記録です。(笑)
0コメント