2019年3月から華道をはじめましたが、やりたくてはじめたのではなく、同じヨガクラスにいらした素敵な70代の方が、華道の巨匠というご縁があり、私のコーチに「華道習ったええんちゃう?」と背中をおされたのではじめました。月謝が高いほうだと思いますが、支払い能力がある限り、石の上にも三年ともいいますし、やってみようかなというかんじで続けています。しかしコロナ禍のため3か月お休みになったり、復活したと思ったら、いまもお休みで、その間も月謝は払うという決まりだそうで、いつかお稽古が補填されるそうです。
ずっとお休みになっちゃっていますし、たまに復活してもやっぱりできないなと思いますし、正直楽しいと言えません。それは、私がアパレルに入社したときと同じ感情だなと思ったので、いつかスイッチが入るだろうという予感だけはしていました。でも、スイッチって一体なんなのでしょうか?
先日のメルマガにそのことを書きました。
こちらも巨匠。ピアニストのフジコさまのお話です。巨匠を前から3列目で拝聴していたら、その波動と私の中にあった(あることにも気づかなかった)ネガティブ感情が翌朝の夢で引き出されてしまったという話です。その日を境に、私は最後のこびりついていたネガティブ感情をどうやら手放してしまったようなのです。
お稽古はありませんが、自分で花を購入して生けたいけばなを周りの人たちが、「Wow! 」と言ってくださるようになったのです。自分でも納得して生けています。
何が変わったのかというと、私は「自分ができない」ことで自分の中で気分悪くなっていたことに気づいたのです。それは、「私はオシャレじゃないから店長できない」と言っていた店長時代と同じだったのです。あのころ、本田健さんの小冊子をいただき、「好きなことを仕事にする」にフォーカスを向けてみたら、「私は顧客管理が好き」と気づいて、フォーカスが「できない」から「できる」になった瞬間、未来が変わったことを、リメイク『かないずむ』を書きながら思い出しました。
私は華道はできないけれど、お花は好きだし、植物を長生きさせることについては、神レベル。(笑)そう気づいた瞬間、お花も枝も、私に語り掛けてくるようになった気がしました。
そう、「There is no me.」になったのです。私が生けているのではないのです。生けさせられている。なんだかわからないけれど、私の前にお花と木がやってきたのだから、どうにかお世話してあげましょうという感じになりました。もともとその感覚は私の中にあったので、それが野山からカットされたお花になっただけです。
「花は人、人は花」そう巨匠がおっしゃっていた意味が、わかりはじめた気がしています。
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