存分にウダウダすることに付き合ってもらったあと、人はスッキリして生まれ変われる。

 「結局、私にはこれしかなかったのか」ってがっかりするのがいやなんです。の記事のクライアントさんから、その後の気付きメールを長文でいただきました。
 会社で、自宅で、ある写真展で、また過去に人から言われた言葉が今更腑に落ちたりと、色々な場所で自分を確認できたようでした。メールの前半にこんなことが書かれていました。

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こんばんは。
先日は長い時間お付き合いいただいてありがとうございました。

「私にはコレしかないのか~・・・」から「私にはやっぱりコレだ!」
という雰囲気に変わった気がします。
きっと堀口さんに存分にウダウダすることに付き合ってもらったから、
スッキリしたんだと思います(笑)
普段誰かに話すことではなかったし、
ウダウダに付き合ってもらえることもないですもんね。

ウダウダしていたら普通は話を変えてしまうので、
満足できるまでウダウダできたのはコーチングならではだったと思います。

なんかこう、感覚が変わった感じがするんです。
本質が掴めたというか、やっぱり私はそういう人なんだ!と合点があったというか。

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>満足できるまでウダウダできたのはコーチングならではだったと思います。

 個人的には、ここの表現が面白いと感じました。確かにあの日は、ウダウダしていました。(笑)結局はウダウダのあと、覚悟を決めるという心境に辿りつけたのです。

 私も先週の播磨さんとのセッションのとき、最初の30分はウダウダとやりたくないことばかり話し続けていたのです。自然に出てきちゃうのですから、止められないです。(笑)播磨さんもべつになんて言うことなく、聴いてくれていました。
 そして、「そこにフォーカスはしないほうがいいと思う」と言われ、「今まで通りそれはフォーカスしないことに決めます」と不安に思っていたことが整理されたり、未来のことについては、「いまは、バランスを考えて、AもBもフォーカスした方がいいように聞こえましたが」とフィードバックをしてくれながら、段々といまどこにフォーカスすべきかが見えてきました。
 そして、自然と話がストップした直後に、「そうだ!そういえば、やってみたいことがあったんです!」というのが、内側からすっと出てきました。そのときは、突拍子もない切り替えの速さだと自分で笑えましたが、クライアントさんのメールを拝見して、ウダウダのプロセスが必要だったのかと気づかされました。

 私は、セッション後すぐに、新しいアイデアに取り組み始めました。ところが、昼さがりにヨガへ行ったあとから夜にかけて、自然とウダウダが再浮上してきました。無念無想のヨガ効果でしょうか?
 そのままの感情を受け入れれば、何か変わるだろうと、自分を自然のままにしておいたら、乱暴な言葉が勝手に出てきて、(笑)涙まで勝手に溢れ、翌朝はすっかり生まれ変わりを体験しました。とうとうエゴも降参したようで。(笑)

 あの日は、クライアントさんと一緒にお台場に行き、ランチも食べて、気候もいいので、公園でアイスコーヒーを飲みながらセッションしたこともよかったのだと思います。もしオンライン上であったら、私もウダウダにつきあってあげられなかったかもしれません。(笑)

 今回、クライアントさんに「ウダウダにつきあってもらってよかった」と言ってもらえたことで、いい変化の前触れなんだと捉えることができました。クライアントさんもおっしゃるように、普段はウダウダにつきあってあげられるほどの心の余裕のある人も少ないかと思います。もっと、ウダウダを歓迎すべきなのでしょう。

 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

自分のウダウダにつきあってあげていますか?