愛情のない場所ではユーモアは生まれない。

 これまでのセッションを経て「本来の自分」に戻ってきたことで、過去の選択が、今の自分と違うものが出始めているとおっしゃっていたのが前回のセッションでした。2か月ぶりのセッション、その後どうなったのかしら? と思いながらお話しをお聴きしました。

 驚いたことに、1年前の状態に戻ったかのような体験をなさっていました。前回のコミコレ「楽天的~ユーモア」にもご参加頂いたにも関わらず、(?)「ここで、ユーモアなんて、どう考えればいいの?」と、解けないユーモアの方程式を抱えていらっしゃるようでした。

 しかもコミコレ後、やたらと「眠い」ことが続いているようなのです。ご自身では、「大きな変化の前触れかな?」と思われたようでした。
 眠いというのは、考えるのを止めなさいと、内側から言われているかのように、私は感じました。クライアントさんにとって、きっと考えてはいけないときなのではないかと。ハートに従いなさいというメッセージです。

 一方、最近始められたという「トランポリン」は、かなり楽しいようで、コミコレのときにユーモアいっぱいに、私たちに体験をシェアして頂きました。


 この1週間のある出来事に関して、「何をやってもダメ。どういう風に気持ちを持って行けばいいかわからなくなった。人に振り回されて自滅。感情を抑える方向へいって、くたびれ損…。私がこう言う風にしたいという欲がありすぎ? これはエゴなの? 」とストレスがいっぱいのご様子です。

 クライアントさんが困っている状況と言うのは、他人が全て足を引っ張っているかのように聞こえてきました。そして結局、「私のエゴが原因なのかしら?」と自分を責めて、自分をより辛くしているようでした。

 20分くらいお話しが続き、私はフィードバックしました。
「今は、過去に選んだことを選択し直しているのでは? 前回ご自身でそうおっしゃっていましたけど…」と。

 するとクライアントさんは、「そう言えば、そうでした!」と大笑い。「これがユーモアですね(笑)
さすがです!」とおっしゃいました。
 そして、「子供にはユーモアが言えるんです。愛情のない場所ではユーモアは生まれないですね」とご自身でまとめられました。
 確かに、自分を責めている場では、ユーモアは生まれそうにもありません。何を言ってもOKで、ジャッジをしない場だからこそ、言えるものです。ユーモアが生まれる根本には「愛」があったのか! と、コミコレの続きのようになりました。

 こちらのクライアントさんの直前に、昨日の記事に書いたクライアントさんのセッションをしていたので、「やらなくちゃ、で始めているものは、自分を責めることにつながる」という状況をまさに見せて頂いたかのようでした。

 相当気持ちが落ちていらしたようなのですが、30分であっという間にスッキリされていました。


 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

「ちゃんと」が口癖になっていませんか?