昨日は、TDSでノマドワーカーをしていました。ホテルで缶詰めとか言ったりしますが、私の場合TDSで缶詰めです。途中気分転換に散歩をしたり、おいしいものを食べたり、ベネチアンゴンドラに乗ってみたり、10時間ほど滞在してました。
人にあげるお菓子を買い終わったら、地震発生…。母からすぐに電話がかかってきて、「あんた、どこにいるの?!」と訊かれ、「ディズニーランドだよ」と答え、「え?!」と驚かれながらも、「パソコン持って仕事しにきてた」と言うと、納得していました。(笑)
やっぱり行ってよかったです。缶詰めにして自分を追い込むことで、アイデアが出てきました。帰りの電車でも、夜寝る前も、どんどん湧いてきて、ノートに書き留めていきました。
ディズニーシーに行こうと思った…という流れで、5.25EVENTで語るストーリーの根底を流れるテーマとして、「可能性の海を泳ぐには」にしようと思いました。
いろいろなアプローチを考えみたのです。可能性にフォーカスする発想をどんどんシェアしていくのか? 逆に、「問題にフォーカスしない」ということについて考察してみるのか?
そう考えているうちに、たまたま蜷川幸雄さんのニュース記事を釘付けで読んでる自分がいました。
「演技ができない、脚本が書けない、だから演出家になった」
私が探していたフレーズはこれだったようです。そもそも可能性というのは、「ゼロ」だから可能性があるのではないか? とふと思ったのです。
逆説的に言うと、「できない人」のほうが可能性があるということ。できるから可能性が広がる…そうではなく、できないから可能性があるのです。
そう考えてみると、私がアパレルに転職して、「ディズプレーもできない、コーディネートもできない…」からスタートしているというのは、蜷川さんの自分の可能性を見出したところと、非常に似ているのではないかと思いました。
つまり、可能性にフォーカスするというのは、二言論の世界ではないということなのです。だから「可能性の海を泳ぐには」としたほうが、できるときもあれば、できないときもある、というような、結果にも執着しない考え方でもあり、常に完成もしない世界、ずっとプロセスなのです。それこそ自然なことではないかと思いました。
と、ここまでが昨日までに気づけたことです。今日は部屋で缶詰め。恵みの雨です。もう少しわかりやすくしていきます。
5.25『Possibilities』あと数席、お申込可能です。
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