願いか? 執着か? 

 「部下にもっと振りなさいと言われる。育成ができるようになりたい」というテーマでのセッションでした。管理職のポジションになって1年半くらいの方です。

 管理職になりたてのころは、自分の仕事ができるようになることも課題だったので、それに取り組みながら、部下もみていくようにしていたそうです。
 ここ最近は、自分の仕事に慣れてきたので、1年半経っても、なかなか育成が進まない部下に集中的に関わっていきたいとのことでした。

 その部下は、「普通の人ならばここまでできるだろうに、彼女はまだここ?!」というくらい、クライアントさんも、その上司も、「やる気あるの?」と首をかしげたくなるほどなのだそうです。なので、ベテランパートさんには、仕事を任せてしまって、クライアントさんの言葉を借りれば、ガッツリとその部下の育成に関わるようにしているとのことでした。

「これだけ言っているのに、伝わっていない」
「1年目は、手取り足とり教えた」
「ベテランさんに任せて、100%その部下にかかわっている」
なのに、育たない…。と嘆いていました。

 この部下の話は、今に始まったことでなく、セッションを開始された1年半前から、既に出ていた話です。クライアントさんが、ご自身の仕事にだいぶ慣れてきたから、改めてまたそこにフォーカスしてみたいとのことでした。

 問題は1年半続いているということを考えると、もし私だったら、もうすこし、ベテランさんたちの方と関わり、できる人のモチベーションをさらに上げるようにしたいと考えるでしょう。
 そういう考え方については、どう思うか? とクライアントさんに訊いてみると、「今いるこの部下を活かすことが出来ないと、次の場所でも苦労するから。どうにかできるようにしたい」とおっしゃいました。

 ということで、実際に部下にどのような言葉を投げかけているのか? さらに詳しく聴いてみることにしました。

 考えさせようと投げかけるが、その答えに対して、「それで大丈夫?」と思わず返してしてしまう、というのが出てきました。ほとんどのやり取りが、その様になってしまうようでした。クライアントさんは、その部下にはストレートに言えてしまうようです。部下は、あまり堪えないタイプのようで。

 なんだか、部下もそれだけいろいろ言われても、グレない(?)ところを見ると、熱く関わってもらうことを、むしろ歓迎しているかのようにも感じてきます。(笑)
 もしかしたら、ご両親があまり関わってくれなかったのかな? と思ってクライアントさんに訊いてみると、「そう言えば、おじいちゃん、おばあちゃんの話は出てきますが、両親の話は、一度も聞いたことがないですね…」とおっしゃいました。


 1時間くらい、その部下の話になって、クライアントさんもお休み中の、しかも遠方からの対面セッションなのに、話しているだけで、ぐったりしているご様子で、私は、ほとんど疲れることはないのですが、今回ばかりはちょっと疲れてきてしまいました。(笑)ある意味、体にくるということは、答えが他にあるからというサインなので、視点を変えるところだなと感じました。

 「自分のストレスにならないために、自分がどうするか?」について、考えていくことにしました。

 まずは、もっとベテランさんたちと関わっていくことについて訊いてみると、「定年退職になる人が多く、育てても…という気になってしまう。だから、やっぱり、困った人とのかかわりが出来ないと、これからも苦労しそうだから」と、また、戻っていきました。やはり、そこに集中したいのでしょうか?

 次に、「育てることに関して、どう思われているか?」も訊いてみました。
 感覚的なことは教えるのが難しですね、という話をしているときに、クライアントさんご自身の話がでてきたのです。
 「私は、色々と見ながら、真似をして、たまに悔しいダメ出しをしてもらいながら、試行錯誤してきたんです。だから、自分が直接教わっていなかったから、彼女に関わろうとしているのかもしれない」と。

 確かに、そういう視点を持っている人は、自分で伸びるでしょう。しかしながら、自由にさせてもらえたから伸びたとも言えます。ここは、「何で出来ないの?」と言うことはやめてみて、やってもらい、自然と手直しをし、自分で考えてもらうという、関わり方についてもありえるでしょうから、そのことについてはどう思うか訊いてみました。

 すると、「やることができていないですからね。もっとああしよう、こうしよう、もない人ですからね…」とおっしゃいました。

 1時間半経ち、これは、執着だなと私は感じました。「この花、何で咲かないんだろう?」と思って、肥料と水をじゃんじゃんあげて、ますます育たない・・・みたいになっていそうです。それよりも、その花についてリサーチして、その花が育ちやすいように環境を作ってあげることがベストだと思います。

 その人はそう言う人だと認めること。できないことを許す。できないことがいつもどおり。
「できるようになれ、できるようになれ」という願いのようで執着になっているのかもしれません。

 それを聞いてクライアントさんは、笑って言いました。「願いのようで、執着ですね…。わ、なんか怨念みたいになっていましたね(笑)」と。

 これからは、その部下をありのままにみながら、関わっていくということです。平均値から、この人はできる人だ、できないひとだ、見ることによって、ストレスにもなっていました。

 無事にセッションが終わり、翌日、クライアントさんからご報告メールを頂きましたが、随分と行動が身軽になっていました。


 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

願いと執着についてどう思われますか?