人のためにはするけれど、自己満足というところではない。境界線を明確にしたい。

 いくつかの会社で経営者とスタッフの調整役的な形で、仕事をしていらっしゃる方のセッションでした。将来は、それを独立した形でやっていきたいとのことで、90日コーチングのご依頼を頂いています。

 1回目のセッションで、自分は「調整役」という役割がしっくりくるとおっしゃっていました。そして、先月はその役割の中で、色々気づくことがあったようです。私が、「楽しく出来ていますか? 居心地はどうですか?」と質問すると、「居心地はよくないかも…人のためにはするけれど、自己満足というところではないですね」とお答えが返ってきました。

 先月は、関わっている会社で色々なことが起きたようです。結局は話合いの末、軌道修正となり、調整役としての責務が果たせたようですが、クライアントさんは心も疲れてしまい、数日の休養が必要になるまで戦ってしまったご様子。このようなことは、今に始まったことではなく、以前にもあったようです。

 そこで、今回は「心の中の境界線を明確にしたい」というテーマでのセッションになりました。

(以下対話です。私から)

「心の中の境界線が引けているとき、自分の中ではどんな状態ですか?」

「自分のやるべき役割は果たしたというところまでです」

「この前、おっしゃっていましたよね。その知識がその会社に必要だと思うと、自分が勉強してスタッフたちに教えられるようになればいいと思って、講座に申し込むことがあるとか」

「そうですね。他の人を紹介することもできるだろうに、足りないところがあると自ら本を読んで試してみたり、講座へ行ってみたりすることがありますよね。それで、自分の時間がなくなってしまったりします」

「言われてもないことをしているということですよね。過保護的な…」

「余力を残してやることが必要な気がします。吐いたり、めまいを引き起こしたり、繰り返しているので、自分の健康を過信しないようにしたいですね」

「それは、無理されている感じですね。相手の求めていないところまで、自分で探してやってしまう…。私もそんなところあったので、わかる気がします」

 ここから私の経験談をシェアしました。私が独立してから2年目のころに「独立して月10万円~100万円のビジネスモデルが作れるセミナー」というセミナーをしました。大盛況で、合計100人くらいの方には、来て頂いたのではないでしょうか。それだけ、独立に興味があり、すぐにでも自分のビジネスを持ちたい方がいらっしゃるのだと感じました。ですので、私が出来る限りのお手伝いをして、独立まで導けたらいいなと思いました。セミナーでは、かなり私のノウハウ、経験談をシェアしましたので、ほんとうにあとは「やるだけ」という感じ。私もすべて話せたことで満足していました。

 ところが、セミナー後、私のやり方を実践した方は、たった1人。喜びのメールを頂きました。
 「そのほかの人は、何でできないのかな? 私の説明がまだ足りないのかな?」と、心配と同時に、どこかでイライラもしました。そこで、参加者にメールを出したのです。「わからないところがありましたらお助けしますので、メールください」と。

 そのことをメンターの金井さんに報告したら、恐ろしい返事が返ってきました。「そういうビジネスの仕方をすると堀口さんの依存者を増やし、これ以上ビジネスが広がらないですよ」と。
 金井さんのメールにドキっとしましたが、私のイライラは、まだ収まりません。その頃は、心の目で相手のことがみられなかったので、感情のコントロールに時間がかかりました。

 何人かにこの話を聞いてもらったことで、ようやく真実がみえてきました。「参加者は、もっと先に独立を考えている人がほとんどだっただろう。実際に行動に移した人は、すでに独立をしていたからできたこと」ということです。

 そのほかにも、友達に頼まれてもいないのに、HPまで作ってあげたこともありました。だけど、相手はそこまで思っていなく、続かなかったのです。「なんでやらないの?」と私は腹を立て、友達関係も決別となりました…・。

 今は、コーチングで課題が出たとして、クライアントさんがやらなくても、「あ、そうでしたか」で終わりです。それでも、リピーターのお客様が多いわけですから、OKのようです。

 クライアントさんが、前のコーチとのやり取りを思い出されました。そのコーチは1回目に色々とクライアントさんのために用意をされていたそうなのですが、クライアントさんが、2回目のセッション以降、そのことについて触れることをしなかったようです。そのコーチはそこに対して何か言ってきたようです。そのことに、クライアントさんは傷ついたまま、セッションを受け続け、ようやく最後のセッションで意見を言ったとおっしゃっていました。

 よかれと思ってやっても、相手にとっていいかわからないのです。
 播磨コーチが、「コーチは無責任くらいがちょうどいい」と、腑に落ちない私を励ますかのように、言葉をくれたことがありました。「相手を変えようとしてはいけない」と今は思っています。

 助けられるところまではやるし、でも提案したからと言って、相手がやらなくても、「あ、そうでしたか」と言うくらいです。こちらができることを提供するだけ。するかしないかは、相手次第。そして、相手がしなくても、別に嫌な気持ちにはならないのです。私にとって、あの出来事は「尊重」を学ぶ機会となったのです。そして、それこそが「相手を引き出す」ことへと繋がっていきました。

 クライアントさんは、勉強しにいこうと考えていたことがあったようですが、「歯止めがかかってよかった!」とおっしゃいました。

 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

犠牲感はでていませんか?