悲しいことが起きないようにするには、挑戦しないことが一番と思ってしまうとき。

 転職コーチングの時は、ご希望によっては志望動機をまとめた文章チェックをすることがあります。ついつい、会社側に合わせようと、優等生的な志望動機を言いがちの方も少なくありません。しかしそれでは、あまり温度が伝わってこないです。

 私は、その人だけの動機を質問して引き出します。すると、ちゃんと出てくるものです。後はクライアントさんが自分でまとめて、面接に臨んでいます。面接でご縁がない結果も、途中あったりもしますが、結局は、自分の望み通りに辿りつきます。
 
 相手に迎合するよりも、自分だけの動機を考えるこが、一番大事なのです。
 しかし、わかっていても、なかなか難しいようです。落ちたらどうしようと考えるからでしょう。セッションでは、落ちることもニュートラルに捉える考え方についても、しっかりと話しあうので、どっちでもいいと思えるようになります。その、どっちでもいい、という感じが、結果的に望む結果を生み出しているとも言えるでしょう。


 あるクライアントさんが、転職をテーマに、1年前セッションを受けられていました。色々とチャレンジしたのですが、面接を受けているうちに、よくわからなくなって、そもそも自分が何をしたいのか? 明確にさせることが大事だと思ったようで、転職を保留することになりました。


 そして、この前、1年ぶりにセッションの依頼がありました。今回は、転職というよりも、勉強したいことが見つかったというので、専門学校へ入学のための面接対策となりました。セッションでは、なぜ、そこに興味を持ったのか、動機などを明確にしました。そのあと、学校へ提出する志望動機の文章を確認して欲しいとメールを頂きました。

 1回目のチェックでは、自分の志望動機よりも、相手の良さをたくさん書いてあるまとめであり、相手にとって満点のものを作ろうとしている感じになっていました。文章がきちんとかけていたので、私も危うく、これでOKですと返事をしそうになったくらいです。

 2回目に書かれたものは、自分の志望動機も書かれていました。正解も不正解もないから、自分らしく書かれていれば、大丈夫だとメールしました。

 すると、またお返事がきました。相当不安のようです。そのメールに書かれている文章から、感じる気持ちを想像してみました。

>正解も不正解もないのに、落ちる人がいるのは悲しいです。
と書いてあったのが気になりました。


 きっと、「悲しみを味わう」ことが苦手なのだと感じました。
悲しみを味わいたくないから、完璧に仕上げないとだめなのでしょう。それでは、いつまでたっても、何かに挑戦することが怖くて仕方がない状態です。悲しいことが起きないようにするには、挑戦しないことが一番ですから・・・。

 私の感じたことをお返事したら、今まで、悲しいことがあったら、それを回避しようとして、誰かに付き添ってもらったり、忘れるために何かをしたり、悲しみを避けてきたようだと、ご自身で気づかれていました。

 完璧主義のタイプは、悲しいことを味わいたくないから、完璧にしたいと思うのかもしれません。

 しかし、いつまでも悲しみから逃げ続けていても、また、悲しみはやってくると思います。小説『ノルウェイの森』に、こんな文章がありました。主人公が、恋人を亡くして、喪失感に向き合うシーンです。


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どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。我々は、その哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学び取ることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみ対しては何の役にも立たないのだ。僕は、たった一人でその夜の波音を聴き、風の音に耳を澄ませながら、来る日も来る日もじっとそんなことを考えていた。ウィスキーを何本も空にし、パンをかじり、水筒の水を飲み、髪を砂だらけにしながら初秋の海岸をリュックを背負って西へ西へと歩いた。

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 私は、ここの部分が、一番印象的なシーンでした。ネガティブ感情を味わうことが、私も苦手でしたが、この映画を見たときに、そのまま味わえばいいのかと、体でわかりました。ああ、こうして、味わう覚悟がいつでもできていれば、怖いことはなくなるなと。

 「悲しみを味わう覚悟」なのです。1日中、泣き続けることもあるかもしれませんが、驚くことに、数日したら、「なんか、すっきりしている」自分になれるのです。
これが、受け容れるということだと、自分でわかった日がありました。

 先日観た映画、『幸せへのキセキ』も、喪失感に向き合うシーンの後に、奇跡のシーンがやってきていました。喪失感に向き合うことが、辛くて、見たいけれど、悲しくなるから写真をやっぱり見ないでおこうとするシーンがありました。しかし、ある日、ついに向き合ったシーンがありました。そこから、奇跡が起こり始めたのです。

 悲しみを味わうことができれば、喜びも味わうことができるんだと、その映画は教えてくれた気がします。

 自分のネガティブな感情を、受け容れることができる覚悟があれば、行動することが怖いものではなくなるのだと思います。色々な気持ちがあっていいのです。自分の気持ちに、いい、わるいをつける必要はないと思います。


 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

避けて通っていることは何ですか?