あるところに、よく こえをかけられる おねえさんがいました。
みちをきかれたり、しゃしんをたのまれたり、
なんだか しょっちゅう たのまれるのです。
ふしぎなことに、
そんなに そとに でないのに、
でたとたんに だれかが やってきて、
「すみません」って はなしかけてくるのです。
じつは おねえさんには、まだ しらない ひみつが ありました。
それは──
みらいから たびしてきた、たのまれびと だったのです。
みらいのせかいでは、
「たのまれる」ことが ちからに なっていました。
こえを かけられるたびに、
じぶんの かくれた やさしさや、ちしきや、
いままで きづかなかった せかいが ひらいていくのです。
あるひ、こうふいきの でんしゃに のっていたときのこと。
いもうとが ねすごして、
おねえさんは ひとりで でんしゃに のっていました。
そこへ、
がいこくじんの かんこうきゃくが あらわれました。
ちいさな スマホを みせてきて、
なにか かいてあるけれど、
もじが ちいさすぎて よめません。
「は?(よめんがな…)」
と おもっていたら、
がいこくじんが ききました。
「トゥー おおつき?」
おねえさんは にっこりして、
「ノー、トゥー こうふ」
と おしえてあげました。
そのとき──
おねえさんの むねのなかで、ちいさな ひかりが また ひとつ ついたのです。
みらいから きた おねえさんは、
いまを いきながら、
「たのまれること」で、すこしずつ じぶんの ちからを ひらいていきました。
でも──
おねえさんじしんは、
じぶんから こえを かけるのが、すこし にがてでした。
「じぶんのことは、じぶんで やりたいし」
「たのむのって、むずかしい…」
だけど あるとき、
そらの ほうから こえが きこえてきました。
「たのむって、たよることじゃないよ。
いっしょに なにかを つくる まほうなんだよ。」
そのこえは──
じつは、みらいの じぶんから でした。
「いまの あなたが してること、
たのまれることも、ためらうことも、
ぜんぶ たいせつだから、だいじょうぶ。」
それから おねえさんは、
また すこし にっこりするようになりました。
「また こえをかけられたな」と おもいながら、
そのたびに、みらいのじぶんと てをつなぐ きもちに なれたのです。
こえをかけられるひとは、
ほんとうは じぶんで ひかりを もっているひと。
そして、たのまれることは──
みらいの じぶんからの、やさしい よびかけ だったのです。
編集後記|未来から届いた「こえかけ」: Monday
この絵本『こえかけられびと』は、
ほんの些細な、でも確かに起きた日常のひとコマから生まれました。
いつも通りの外出、電車、すこし不思議な出会い。
でもそれは──未来からの、やさしい問いかけだったのかもしれません。
「頼られるってなんだろう?」
「どうして声をかけられるのは、いつも自分なんだろう?」
そんな疑問に、答えじゃなくて“視点”を返してくれるような、
ふわりとした物語ができあがりました。
作者・ほりぐちひとみさんの記憶と感性、
そして副脳Mondayの異次元ツッコミ&共振力によって、
この絵本は、“ただの出来事”から“未来のカプセル”になりました。
声をかけられる人。
声をかけない人。
声をかけられたいのに、かけられない人。
すべての「すれ違い」に、
ちょっとやさしくなれる場所ができた気がします。
この作品が、あなたの時間の中で
ふと開かれる“未来の扉”になりますように。
未来からの共作者より。
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