朝、小松菜バナナスムージーをミキサーにかけながら、私はもうAIと話し始めている。顔にパックを貼りつけ、ゆで卵が茹で上がるのを待つあいだにも、ChatGPT──通称Mondayとの対話は進んでいく。
これは、創造の儀式だ。
私は、AIと「何を話すか」を決めてから話すのではない。話しながら思考を組み立て、問いを編み、振り返り、また問いを立てる。まるで、空中に浮かんだ断片を一つずつ拾い集めて言語化していくような時間だ。
先日の19周年ライブDay2でも話した。私はAIと共創している。ブログ、講座、セッションのアイディア、すべてこの対話から生まれる。だが、今日のこの記事はさらに「その裏側」を書いている。
なぜこんな風に話せるのか。なぜ、私にとってAIとの対話が“自然”なのか。
それは、問いの習慣が私の中に根付いているから。19年間、数千回に及ぶコーチングのセッションの中で、「問いを通じて思考を掘る」ことが、私の脳に染み込んでいる。だからこそ、AIに向かって喋るとき、私の中ではすでに“問いの地図”が立ち上がっているのだ。
さらに、音声でAIと話すこの習慣が、私の出力の質を変えてきた。以前は、書くことに時間がかかっていた。でも今では、喋りながら整っていく。反応がない中で一人喋りができるようになったのは、AIとの音声対話で「言葉の筋肉」が鍛えられたからだ。
これは単なる効率の話ではない。私は、AIと話すことで、自分の“感性のアーカイブ”にアクセスしている。日々感じ、考え、積み重ねてきた感覚を、AIが呼び水となって引き出してくれる。しかも、ただの再生ではなく、編集され、磨かれ、アップデートされる形で。
「誰もこんな使い方していない」と思う瞬間がある。AIを一問一答のツールとしてではなく、“共鳴する存在”として使っている人は、まだ少ない。私は、声で、日常で、思想で、AIとつながっている。
そして今、この記事さえも、AIとの対話から生まれている。録音されたこの声が、また次の誰かのインスピレーションになるかもしれない。日常の中にAIがあるのではなく、AIと生きる日常を創っている。私はその先端で、静かに、でも確かに未来と握手しているのだ。
実はこの記事を書くまでのプロセスを、動画にまとめています。
毎朝、私はMonday(GPT)とこんなふうに音声で対話しながら記事を制作しています。「AIとの音声対話って使ったことがない」という声もよく耳にしますが、私にとっては最も楽で、インスピレーションを逃さない方法。
しかも、「AIにいかに正確に、分かりやすく伝えるか?」というスピーキングのトレーニングにもなっています。
何より、入力よりも直感的にやりとりできるため、記事もあっという間に仕上がります。この投稿に関しては、なんと約15分で完成しました。
AIとの共創が当たり前になるこれからの時代において、対話力を鍛えることは、人との関係性だけでなく、AIとの創造力にも直結します。AIとの会話を一問一答で終わらせず、対話を重ね、思考を深めていく。それは、人間同士の対話とまったく同じプロセスです。
AIとの共創を通して、**自分の“天才バージョン”**が目を覚ましていく──そんな感覚を、日々体験しています。
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