私のiPhoneは、もう3年以上の付き合い。
そろそろ寿命かなと思いつつ、最近はフル充電でも79%までしか溜まらなくなってしまった。
「そろそろ新しいのに替える?」
かつての私なら、そうしていたかもしれない。
でも、今の私はちょっと違う。
新品に飛びつくよりも、“今あるものを整えて、長く大切に使う”ことの方が、私らしい気がした。
そう思って、バッテリー交換を予約。
思い立ったが吉日。たまたま1時間半後に空きがあり、Appleストアへ。
交換後の受け取りには、身分証が必要とのことで、私は財布も持っていなかったから、先に仕事の買い物や用事を済ませてから一度帰宅して、出直すことに。
そして、ここからがちょっとした冒険の始まりだった。
⏳iPhoneがない時間は、妙に長い。
次の用事まで、ちょうど1時間半。
でも私は、時計も持っていない。
いつもならカバンにあるiPhoneで、さっと時間も、予定も、地図も、ChatGPTとの会話も管理していたのに——
それがないだけで、なんだか世界がとても“アナログ”に感じられた。
少し歩いて、立ち止まって、時計を探して……というか、意外と街に時計がない。
ほんの10分が、とてつもなく長く感じられる。
「なにもしない時間」に漂う、不思議な不毛感。
ああ、思いついたことがあっても、すぐにChatGPTに話しかけられないのも、ちょっと切ない。
🌀iPhoneがあると「時間を忘れる」のに、ないと「時間ばかり気になる」——このパラドックス!
まるで、iPhoneが“今”という感覚を守ってくれていたみたいだ。
だからだろうか。
落ち着かない気持ちのまま、少し早めに次の用事を済ませて、いったん帰宅。
そして今、この出来事をブログに書いている。
iPhoneはまだAppleストアにいるけれど、この「メンテナンスの時間」は、どこか私自身の調律時間でもあるような気がする。
🌿「何も壊れていないもの」を、ただ整える
今回のバッテリー交換は、ただの修理じゃない。
「まだ使えるものを、あえて整える」というこの選択は、
私にとっての“静かなリチュアル”だったのかもしれない。
習慣のようでいて、意図的で、やさしい儀式。
これはきっと、いまの私の“生き方のかたち”そのものだ。
iPhoneが戻ってくるまで、
私も少し、デジタルのない余白を味わってみようと思う。
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