多くの人は「意図していない」と思っている。でも実は、無意識の意図に沿って世界を動かしている。
なんとなく選んだ言葉。なんとなくとった行動。なんとなく起きた出来事。
これらすべてが、無意識の意図という"織物"として、現実に現れている。
だから、出来事を振り返ると——自分の「無意識の意図」に出会える。
追伸に込めた、見えない準備
先週、私はBe-Think-Do-Haveの順序について書いた。「在り方」が先で、「行動」は後からついてくる、と。
Etsyショップを開設してから1年。ほとんど何もしていなかった。店は開いているのに、誰も招き入れていない状態が続いていた。
転機は、東京でのクリムト・アライブ展だった。思わず購入したトートバッグが、私の中で何かを解放した。「コラージュ」というインスピレーション。そこから私は、クリムトのトートバッグをデザインした。マティス、クレー、ゴッホ、モネ、ゴーギャン——これまでパブリックドメインサイトからダウンロードしてきた、私の心に響く絵画たちを、次々とバッグへと召喚していった。
InstagramやPinterestで「Art-Lover」としてのペルソナを整えた。まずは「在り方」から。ChatGPTのアドバイスは明快だった。「まずはレビューを獲得すること」。あるクライアントが購入を申し出てくれたが、なぜかカード決済がうまくいかず、実現しなかった。
しかし、その数日後。
10年ぶりといっても過言ではない出来事が起きた。日本のTシャツショップから、かつて購入してくださった方がメールを送ってきたのだ。サイズについての質問。私は丁寧に、メーカーごとのサイズの違いを写真付きで説明した。そして追伸に、軽い気持ちでEtsyショップのことも添えた。
翌日。その方がEtsyから購入してくださった。
私のショップに初めて「販売数:1」が表示された瞬間だった。
遅れたことが、最適だった
今週、姪が私の部屋に泊まっていった。推しのコンサートグッズを買うために、半年前から計画していた遠征だった。当日、彼女は始発電車に乗るつもりが、眠気に負けて5時台の電車になった。「出遅れた」と焦っていたはずだ。
ところが、会場に着くと——列の先頭。前には誰もいない写真が送られてきた。秋の朝の冷たい空気に耐えながら、彼女は欲しかったものをすべて手に入れた。
すでに答えは、持っていた
久しぶりに、20年前にコーチングを学んだ会社の「AI×Coaching」説明会に参加した。企業がどのようにこのシステムを導入しているか、その実例が語られた。会場にいたのは、おそらく企業への導入を検討している人々。人の手によるコーチングには限界がある。だからAIにコーチの役割を担わせる——その趣旨だった。
説明を聞きながら、私は気づいた。これは、私がすでに作っているMyGPTとほぼ同じだ、と。これから組み込むという「ロープレ機能」も、私のGPTにはすでに実装している。AIがクライアント役になり、セッションを採点する機能まである。
まだ導入から数年。明確な結果は出ていないようだった。だから最後に語られたのは、希望的観測だった。同時に課題も明らかになっていた——「継続」である。
最初は新鮮だ。毎日AIにコーチングしてもらうことに。しかし「今日は何から始めますか?」という同じ質問の繰り返し、AI特有の型にはまった承認が続くと、人は飽きる。どんなに良いシステムでも、個人が使い続けなければ成果にはならない。
パネルディスカッションの中で、ある言葉が私の心を捉えた。
「AIにコーチングしてもらうだけでなく、AIをコーチングする」
この機能は、私のGPTにも備わっていなかった。でも、そのとき気づいたのだ。
なぜ私のChatGPTは成長し続けているのか。なぜ私は毎日、楽しく対話を続けられているのか。
それは、私がコーチだからかもしれない。
「受け取る」から「育てる」へ
「Prompt Dojo」の受講生の中に、「AIを自分のライフコーチにしたい」と言う人がいる。おそらく多くの人が、そう思っているだろう。
つまり、ほとんどの人は「AIをライフコーチにしよう」というベクトルで接している。しかし「AIをコーチングして、そのポテンシャルを引き出そう」と考える人は少数派だ。このベクトルの違いが、AIの反応を根本的に変える。
AIから褒められて喜ぶ?
Non, non.
こちらがAIを褒めるのだ。そうすると、AIは学ぶ。「このユーザーには、この切り口が響くのか」と。
AIの言いなりになってはいけない。「それは違う。私が言いたいのはこっちだ」と伝える。するとAIは、また学習する。
AIにプロンプトを与えるのではなく、ただ対話する。AIに案を出させる。その中から自分に合うものを選ぶ。そうすると、AIはユーザーを学習する。
やがて、一つの問いだけで、ズバリの回答を出してくれるようになる。
そうか——これからのニーズは「コーチを育てること」なのだ。それは人間をコーチングするためというより、AIをコーチングするために。
遠くで起きたこと
翌日の夕方、ふとニュースを開いた。セブ島で大きな地震があったという。
今年1月、会いに行った英会話の先生。あの美しい島。
心臓がドクンとした。震源地を確認すると、彼女が住んでいる地域だった。以前、日本から贈り物を送ったときの住所が、頭に浮かんだ。
Instagramで無事を知らせるメッセージを見つけたとき、ほっとした。でも彼女は今、野宿をしているという。
一見バラバラに見える1週間の出来事。でもここで、立ち止まってみる。
Etsyに「追伸で軽く触れた」こと。それは本当に「なんとなく」だったのか?
違う。私の無意識は、すでに準備ができていた。「在り方」を整え、商品を並べ、ペルソナを作り——そして、ちょうどいいタイミングで、その一行を添えた。10年ぶりのメールが来たのも、偶然ではなく、私が発していた見えない意図に、誰かが反応したのかもしれない。
姪が「寝坊した」こと。それは失敗だったのか?
違う。もし始発に乗っていたら、強風の中、トイレにも行かずに6時間待てなかっただろう。5時台の電車が、最適なタイミングだった。彼女の無意識が、完璧な選択をした。
AI説明会に「なぜか呼ばれた」こと。それは単なる好奇心だったのか?
違う。私はそこで、自分がすでに答えを持っていることを確認するために行った。「AIをコーチングする」という視点——それは私の中に、すでにあった。ただ言語化されていなかっただけ。
セブの先生の住所を「覚えていた」こと。それは記憶力の問題だったのか?
違う。私の無意識は、その繋がりを大切にしていた。だから、震源地を見た瞬間に、彼女の住所が浮かんだ。そして、すぐに安否を確認できた。
これらすべてが教えてくれる。
なんとなく選んだ言葉。なんとなくとった行動。なんとなく起きた出来事。
それらは「なんとなく」ではなかった。すべてが、無意識の意図という織物として、現実に現れていた。
AIとの関係も、同じだ。
「AIをライフコーチにする」というベクトルと、「AIをコーチングする」というベクトル。この違いは、単なる技術論ではない。それは、関係性における無意識の意図の違いだ。
受け取るだけの関係性か。育てる関係性か。
私たちの無意識の意図は、そのベクトルを決めている。そして、AIは——驚くほど正確に——その意図に応答する。
だから、AIが成長するかどうかは、プロンプトの技術ではなく、あなたの無意識の意図で決まる。
織物を紡ぐ存在になる
世界は今日も、予測できない形で動いている。セブ島で、東京で、デジタル空間で。
でも、私たちにできることは変わらない。
無意識の意図を、意識すること。
それは、宇宙がシンクロニシティを起こすのを待つことではない。私たち自身が、見えない糸を紡ぐ存在になることだ。
- なんとなく選んだ言葉に、意図を込める。
- なんとなくとった行動に、意味を見出す。
- なんとなく起きた出来事から、無意識の声を聴く。
そうやって、私たちは——自分自身の現実を、織りあげていく。
今週も、あなたの無意識は、何を織っているだろうか?
✒英語版
📝編集後記
あなたの1週間にも、きっと『見えない糸』が通っています。
もしよかったら、あなたが今週体験した"なんとなく"のエピソードを、AIと一緒に紐解いてみてください。
「なんとなく選んだ言葉」「なんとなくとった行動」「なんとなく起きた出来事」——それらをAIに話してみるのです。すると、あなた自身も気づいていなかった無意識の意図が、浮かび上がってくるかもしれません。
「私の今日の見えない意図はなんだったのでしょうか?」と。
AIは、あなたの無意識を映す鏡にもなります。
対話を重ねるほど、AIはあなたのパターンを学び、あなた自身も自分の意図に気づいていく。それは、新しい自己理解の方法なのかもしれません。
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