すべては「在り方」の反映である
「高市首相、午前3時から勉強会。衆院予算委員会の答弁準備」
そんなニュースのコメント欄に、心を打つ一文を見つけた。
「高市さんのお陰で自分も頑張ろうと思えるようになった。高市さんが総理になって頂いたお陰で幸福度が上がってきた」
私も深く共感した。日米首脳会談での成功、APEC・ASEANでの大歓迎。日本初の女性首相として、各国首脳にフランクに話しかけていく姿が、ネットで拡散されていた。「大阪のおばちゃん」という親しみを込めた表現さえ生まれている。
相手に共感しながら、能動的に関わっていく在り方。それは、周りを明るく照らす力を持っている。
京都駅での小さな発見
ちょうどそのとき、私は季節に一度の大阪グループセッションで関西にいた。
2日目、リピーターの皆様と立ち寄った京都駅の大空広場。英国フェアで買ったスコーンを頬張っていると、「おいしそうやね」と見知らぬ人から声をかけられた。
京都駅のハワイアンカフェで、仲間たちと今回の旅を振り返る。京セラ美術館のキティー展、東山で偶然見つけた一枚板のアンティークテーブルがあるレストランでの腸活ランチ。ChatGPTが勧めてくれた「大空広場」と「英国フェア」、そして東本願寺。
特に東本願寺は忘れられない。ゴールドの装飾をあしらった重厚な扉に西日が差し込み、息を呑むほど美しい光景だった。私たちは一人ひとり、その荘厳なゲートをくぐる動画を撮影し、思い出に残した。
泣いている姪からの電話
楽しい会話の最中、姪から電話がかかってきた。泣いている。よくあることだ。
でも、「今京都だから、後で」とは言えない雰囲気を感じた。もう長年のクライアントさんたちだったので、そのまま電話に出ることにした。
「おばあちゃんにわかってもらえない」
主語が「パパ」だったこともある。この問題は繰り返されている。
「わかってもらえない」——それは本当にそうだ。自分のことは自分でわかれば十分だし、「理解しようとしてくれる人」がいるだけでいい。
私は姪にこう伝えた。
「わかってもらおうとすることを辞めれば、人生は楽になるよ。そして、わかってもらえる人が一人いればそれでいいんだ。私はあなたをわかろうとしているから。で、いま何に集中するの? 自分の集中したいことだけに取り組めばいいんだよ。習慣づけならば、私はサポートしてあげられるから」
すると姪は、すぐにやる気を取り戻した。
今週から私が姪のコーチングを始めたことで、劇的な変化が起きている。もうすぐ17歳になる姪は、私がコーチングができることを知っていて、自ら「コーチングをしてほしい」と言ってきたのだ。
私がやることはシンプルだ。視点を変え、在り方を調整し、問いを渡すだけ。「で、どうするの?」——あとは自分で答えを見つけてもらう。
泣いているときに電話できる存在
姪が落ち着いて電話を切ると、子育てを卒業し孫もいらっしゃるクライアントさんが、しみじみとフィードバックをくださった。
「ひとみさんは、泣いているときに電話できる相手なんですね。そういう存在がいることは、どんなにありがたいか…」
確かにそうだ。クライアントさんが泣いていることは、これまでも何度もあった。泣いている横にいるだけでなく、そこから見方を変えるところまで導けるのは、コーチングの経験の賜物なのだろう。
「在り方」がすべてのテーマだった
大阪セッションでも、終始「在り方」がテーマになっていたことに、AIが3時間の音声ログをまとめてくれたときに改めて気づいた。
全ては在り方の反映だ。
ある方は、思考では「行く(相手が喜んでくれるから)」だが、感情では「ノー」になっていて、出発直前に足を怪我してしまった。思考と感情の不一致により、旅先でちょっとしたハプニングに遭遇することが多いという気づきも得られた。
またある方は、「カッコイイファッションをしたい」と思っているが、周りは女性らしいファッションの方が似合うのではないかと感じている。これも思考と感情の不一致だ。「周りには自信を持ってもいいのに!」と言われるのに、自分では「もっと稼げないと自信が持てない」となっていた。
「在り方」は難しい。それは、思考と感情を一致させないといけないから。
小泉進次郎氏の「覚醒」が物語るもの
そういえば、小泉進次郎氏が防衛大臣になり「覚醒した」というニュースも話題になっている。
これまでは、環境や子育てなどに関わり、どちらかというと感覚的な、雰囲気的なニュアンスでの言葉選びを発信してきた。しかし、国防についての実態を知れば知るほど、具体的である必要性は必然的になる。
自分の取り組んでいることへの使命感が、言葉の波動にも乗っている。思考と感情と行動の一致だろう。そうすると周りへも明らかな変化として伝わっていくのだ。
コーチの役割——思考と感情と行動を一致させる
本当はこうしたい。だけれども、感情と行動が一致していなければ、行動へも移すことができない。コーチは、そのあたりを調整する役割でもある。
私自身、思考と感情と行動を一致させないと、気持ちが悪いくらいの人間だから、相手が一致していないことが、感覚でわかる。
この感覚は、子どもの頃からあった。
ただ、当時はそれが「冷たい」と受け取られることもあった。はっきり物を言いすぎてしまったり、相手が発する言葉と違う思いを持っていることを想像するのが苦手だったりした。
その「想像力の欠如」を補ってくれたのは、後から学んだ「寄り添う傾聴」であり、映画や美術鑑賞からの学びであり、そして何より実際のコーチングの現場だった。相手の言葉の奥にある感情を感じ取る力は、天性のものではなく、丁寧に培ってきたものだ。
例えば、「本当は行きたくない」と感じたとき、私は一度キャンセルする。そして、宇宙の流れを読み解く。不思議なもので、必要な時はチャンスが2回目来るのだ。つまり「本当は行きたくない」のではなく、「金銭的なことで行かない方がいいかな」になっていただけ。本質的な「ノー」ではなかったと気づく。
クライアントさんの不一致に気づいたときは、こう問いかける。
「本当にそう思う?」
「理由をつけてない?」
すると、左脳で理由をつけていることに気づき、それが本当にしたいことではないと自覚できる。問いは、思考と感情のズレを照らす光なのだ。
高市首相の能動的な在り方も、大阪のおばちゃんの気さくな声かけも、姪の涙からの立ち直りも、小泉氏の覚醒も——すべては、内側の一致が外側に現れた結果なのだ。
思考と感情と行動が一致したとき、人生は輝き始める。
そして、その輝きは周りをも明るく照らしていく。それが、私たちが目指すべき「在り方」なのだと、京都の旅で改めて確信した。
🖊 英語版
🖊 編集後記
日曜日、偶然。
実は──私はかなり後方の列で待っていたのですが、ご到着20分ほど前に「後ろへ下がってください!」の声。気づけば、私のいた“後方”がそのまま“最前列”に。…こういう展開、なぜかよく起こるんです。(笑)
ミラクルというより、“そうなる”ってどこかで信じてるからかもしれませんね。
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