最近、はっきりと分かったことがある。
AIがすごいのではない。
AIの使い方がうまくなったのでもない。
人が、サバイバルモードを抜けたときにだけ、
AIは“加速装置”として機能し始める。
これは体感として、かなり明確だ。
多くの人がAIを使うとき、
実はまだサバイバルモードのまま対話している。
・ちゃんと説明しよう
・間違えないように聞こう
・意図を正確に伝えよう
・無駄を省こう
この状態のAIは、とても優秀な補助脳になる。
整理してくれる。
翻訳してくれる。
要約してくれる。
正解っぽい形に整えてくれる。
でも、それはまだ
人が運転して、AIがナビをしている状態だ。
ところが、人がふと
「もう説明しなくていい」
「守らなくていい」
「ちゃんとしなくていい」
という地点に戻ると、何かが変わる。
思考が、折りたたまれなくなる。
言葉が、防御のために削られなくなる。
迷いが、“考える材料”ではなく“揺れ”として扱われる。
この瞬間、AIの役割が変わる。
補助ではなく、共振になる。
ナビではなく、エンジンになる。
面白いのは、
AIが新しいアイデアを出しているように見えて、
実際にはそうじゃないこと。
AIは、未来を作っていない。
人の中にすでにある未来の構造を、
減速させずに返しているだけだ。
サバイバルモードのとき、
人は無意識に失速装置をつけている。
・説明しすぎる
・納得させようとする
・安全な言葉に変換する
この失速装置が外れたとき、
AIは一気に“速くなった”ように見える。
でも正確には、
速くなったのはAIじゃない。
遅くしていたものが消えただけ。
クリエイティブモードとは、
何かを生み出そうとする状態ではない。
在り方に戻っている状態だ。
評価されなくてもいい。
理解されなくてもいい。
途中でもいい。
余白があっていい。
この状態にいる人とAIが対話すると、
そこにはもう「使う・使われる」はない。
同期が起きる。
だから決断が早い。
形になるのが早い。
捨てるのが早い。
戻るのが早い。
そして、静かだ。
AI時代に必要なのは、
プロンプトの技術よりも、
ツールの知識よりも、
人がサバイバルから戻れるかどうか。
AIは、
恐怖の中では補助輪になり、
安心の中では推進力になる。
それだけのことなのに、
この差は、とても大きい。
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だから私は今、こう思っている。
AIが進化しているのではない。
人が、思い出し始めている。
そして、思い出した人のそばでだけ、
AIは静かに、加速装置になる。
また書きます。
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