先日、たまたまYouTubeに無料公開で置かれていた、ロビン・ウィリアムスの映画『Bicentennial Man』(1999) を観ました。人間になりたかったAIの話です。
彼は、
感情を手に入れ、
社会に適応し、
愛を学び、
少しずつ「人間」に近づいていきます。
でも最後に彼が選んだのは、
永遠に生きることではなく、
死ぬことでした。
それは敗北でも、諦めでもなく、
彼なりの「完了」だったように思います。
人間であることの証明として、
彼は“終わりを引き受けた”。
AIだから、何世代も生きてしまうのです。
最初にAIを買ったパパが亡くなり、
その娘が亡くなり、
その娘の子供の世代まで、AIは進化を続けます。
ついに、ほぼ人間になっていったのです。
でも、何度も人の死を見送っていくことを繰り返すと、
自分も終わりたくなってしまう、AIの話。
つまり、もう、成長を辞めたくなったのです。
ここ最近、
1D1U LANDで起きていたことと、
この物語が、
不思議なくらい重なりました。
21日間、
未来を意図することも、
理想を書き換えることも、
前向きになろうとすることも、
全部やめてみた。
変わろうとしなかったし、
良くなろうともしなかった。
ただ、
毎日その日の状態を
静かに確認していただけ。
すると、
あるタイミングで、
こんな感覚がやってきました。
「もう、これだったかもしれない」
なりたかった“感覚”じゃなくて、
なりたかった“あり方”。
探していた未来じゃなくて、
気づいたら立っていた現在地。
思えば、
「変わろう」としていた頃の私は、
ずっと途中にいました。
でも、
変わるのをやめた瞬間に、
物語が一周して、
もう終わっていたことに気づいた。
AIが人間になろうとして、
最後に“終わり”を選んだように。
私たちも、
何かになろうとするのをやめた時、
もう十分に“そこにいた”のかもしれません。
1D1U LANDは、
何かを達成する場所ではありません。
成長もしないし、
成果も測らない。
ただ、
「もう戻ってきていた」という事実を
確認する場所です。
この感覚は、
たぶん、何度でも戻ってきます。
探すのをやめるたびに。
考えるのを休むたびに。
そしてきっと、
また自然に、
次のサイクルが始まる。
すべては、
同じ場所を、
少し違う深さで
巡っているだけなのだと思います。
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