50歳になったとき、
誰に言われたわけでもないのに、
私は「50歳らしく」しようとしていた。
落ち着いて。
慎重に。
ほどほどに。
身体は、その枠組みを知らなかったのに。
毎日ジムへ行き、
ヨガをして、
カイロプラクティックにも通う。
痛いところは、ひとつもない。
それでも私は、
年齢という見えないコルセットを、
自分で締めていた。
ずっと気になっていた左股関節。
あぐらをかくと、
左足だけがわずかに浮く。
ほどいたあと、
ひざ裏がじんわり痛む。
施術を受ければ緩む。
けれど、また戻る。
この往復を、何年も続けていた。
身体の問題だと思っていた。
でも、違った。
神経系が、
そのパターンを保持していた。
施術は入口にはなる。
けれど神経系が「もう守らなくていい」と判断しない限り、
身体は同じ場所へ戻る。
ジョー・ディスペンザは言う。
変容とは、細胞が書き換わるまでのこと。
頭で理解することではない。
神経系が新しいパターンを採用して、
それが定着したとき、はじめて人は変わったと言える。
この一ヶ月、
何かが動いていた。
骨盤に意識を向けていた。
思想が深まった。
セッションの構造が変わった。
AIとの協働が自然になった。
身体が軽くなった。
全部が同時に、
神経系に触れていた。
ある日、
あぐらをかいた。
左足が、床についていた。
ほどいても、
ひざ裏は痛くない。
静かに、
でも確かに、
何かが解放されていた。
「守らなくていい」
神経系が、
ようやくそう判断したのだと思う。
50歳らしくいようとすることも、
場に合わせてエネルギーを落とすことも、
期待を裏切らないでいようとすることも、
全部、守るためだった。
何を守っていたのか。
たぶん、
「合わせられる自分」。
でも身体は、
年齢の定説を無視していた。
エネルギーは25歳。
知恵は50歳。
それが、いまの私だった。
身体は、ずっと知っている。
頭がブレーキを踏んでいるあいだも、
神経系は静かに準備をしている。
準備が整ったとき、
股関節が、床につく。
気づきは、
思考の合意ではない。
身体が変わること。
戻らないこと。
もしあなたにも、
緩んでは戻る場所があるなら、
それは壊れているのではなく、
何かを守っているのかもしれない。
何を守っているのか。
少しだけ、
やさしく聞いてみる。
答えは、
たぶん身体が知っている。
そして。
身体は、
説明では変わらない。
「もう守らなくていい」と、
神経系が判断するまで、
同じ場所へ戻る。
理解したからではなく、
納得したからでもなく。
安全だと、
身体が感じたときにだけ、
パターンはほどける。
ジョー・ディスペンザは、
変容とは「新しい神経回路が定着し、
それが第二の性質になること」だと語る
頭でわかることではない。
身体が覚えること。
そしてそれは、
“頑張る時間”ではなく、
“静まる時間”の中で起きる。
もし今、
緩んでは戻る場所があるなら。
変わろうとしているのに、
どこかがブレーキを踏んでいるなら。
それは、
あなたが足りないのではなく。
神経系が、
まだ守っているだけかもしれない。
守らなくていいと、
身体が思い出す時間があれば。
何かは、
静かにほどける。
Infinity Lab #7 は、
そのための90分です。
理解を深める時間ではありません。
理論を学ぶ時間でもありません。
思考から一度降りて、
身体が静まる方向に
自然に連れていかれる時間。
何かを変えようとしない。
ただ、
神経系が安全を思い出す余白をつくる。
そのあとに起きることは、
コントロールできない。
でも、
股関節が床につくように、
ある日、
戻らなくなる瞬間がくる。
もし今、
少しだけ
静かになりたいなら。
それが入口です。
Infinity Lab #7
― 思考が静かになる90分 ―
2.22 Sun 10:00
2.25 Wed 20:00
必要な方だけ、
ふらっとどうぞ。
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待っています。
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