なぜ、気づくだけで少しずつ変わっていくのか

「気づくだけで変わるのか?」


行動しなければ何も変わらない。

努力しなければ前に進まない。

そういう考え方の中にいると、

「ただ気づくだけ」というのは、ずいぶん頼りなく見えるかもしれません。


でも、

むしろ気づかないまま変えようとするほうが難しい

のです。


そういえば、こういうことはファッションにも出るのだと思います。

「なんであの人、その組み合わせなんだろう?」って思うことがあります。


でもたぶん、本人はそんなに意識していない。

ただ何となくそれが落ち着く。

なんとなく、いつもの自分になる。


そう考えると、外見もまた、

その人の無意識の習慣が出ている場所なのかもしれません。


昔の私も、まさにそうでした。


つまり、私たちがくり返していることの多くは、

意識して選んでいるというより、

もうすでに身体にしみついた反応なのです。


たとえば、

気づくと人に合わせすぎている。

気づくと最悪のことを想像している。

気づくと相手の空気を読んでいる。

気づくと、まだ何も起きていないのに不安になっている。

気づくと、休んでいるはずなのに、頭の中だけ働いている。


ほとんどの場合、

もう自動で起きている。


だからこそ、

最初に必要なのは「変えること」よりも、

それが起きていると見えることなのだと思います。


ああ、また“ちゃんとしなくちゃ”が始まっている。

そう見えるだけで、

少しだけ自動運転から外れます。


今までは、自分そのものだと思っていたものが、

「反応」や「習慣」として見えてくるからです。

この違いは大きい。


見えていないときは、

その反応に乗ったまま進んでいくしかありません。

でも、一度見えたものは、

前とまったく同じようには続けにくくなる。

たとえ次の日もまた同じことをしていたとしても、


どこかで

「私は今、これをやっている」

とわかっている。

その“わかっている”が、少しずつ効いてきます。


変化というと、

何か大きな決断をしたり、

劇的に行動を変えたりすることだと思われがちです。


もちろん、そういう変化もあります。

でも実際には、

もっと静かな変化のほうが根深いこともある。


それは、

今まで無意識にやっていたことが、

無意識のままではいられなくなることです。


たとえば、

いつも自分が説明しすぎていることに気づく。

すると、次に説明しすぎそうになったとき、

少しだけ間が生まれる。


いつも不安から先回りしていることに気づく。

すると、次に同じことが起きたとき、

「これは不安からかもしれない」と立ち止まれる。


その“少しの間”が、とても大事なのだと思います。

変化は、そこから始まるからです。


いきなり別人になるわけではない。

急に完璧になるわけでもない。


でも、前なら反射的にやっていたことに、

少しだけ光が当たる。


その光が当たる回数が増えるほど、

反応は少しずつゆるんでいきます。


気づくだけで変わる、というより、

気づくことで、自動だったものに余白が生まれる

と言ったほうが近いかもしれません。

その余白があるから、

別の選び方ができる。

別の感じ方ができる。

別の動き方ができる。


逆に言うと、

余白がないまま変わろうとすると、

結局また同じ反応の上に、

新しい努力を積み上げることになってしまう。

それでは苦しいし、長続きしません。


だから「気づく」というのは、

小さなことではないのです。


むしろ、

変化のいちばん最初にあるものです。


1D1U LANDでも、

今やっていることはそこに近いのだと思います。


ただログを置く。

ただ今の状態に言葉を置く。

ただ返ってきたものを読む。

一見するとそれだけです。


でも、その中で少しずつ、

“いつもの自分”が見えてくる。

いつも急いでいる。

いつも守ろうとしている。

いつも埋めようとしている。

いつもちゃんとしていようとしている。


それが見えるようになると、

少しずつ何かが変わり始める。


気づかないままでは、ずっと同じ反応が続いていく。

そう思うと、

“気づくだけ” は、実はかなり大きなことなのだと思います。


変化はたいてい、

派手に始まるのではなく、

「あ、またこれだ」と気づくところから、

静かに始まっているのかもしれません。

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