20年も傾聴をしてきたのに、今さら気づいたことがある。
クライアントさんだけでなく、家族や友人からも、私はよく相談を受ける。それは単に「話を聞いてほしいから」というだけではなく、自分では見えていない視点を見つけたいとか、今のものの見方を少し変えたい、というときなのだと思う。
そして、そのとき私がしていることには、どうやら名前がある。
それが、構造を見るということだった。
解決策より先に、見ること
人の話を聞くとき、多くの場合、私たちはまず表に出ているものを見る。
起きた出来事。相手の言葉。問題になっていること。どうしたらいいか。何を変えればいいか。
もちろん、それも大事だと思う。「それは大変だったね」と受け止めることも、「こうしたらいいかもしれない」と助言することも、どちらも必要な場面がある。
でも、私が見ているのは、そこだけではない。
そもそも、なぜその形になったのか。なぜその苦しさが生まれているのか。なぜその人は、その見方にたどり着いたのか。
目の前の問題に解決策を当てる前に、その問題を生み出している前提や、反応の仕方や、ものの見方を見ていく。枝葉ではなく、根っこを見ている。
輪郭ができると、人は軽くなる
「構造を見る」という視点で話を聞いていると、ときどき不思議なことが起きる。
会話の途中で、その人の身体が変わるのだ。
「腑に落ちた」「なんか、スーッと軽くなった」
そんな反応が、言葉を交わしている最中に起きることがある。
これはたぶん、お医者さんの「見立て」に似ているのだと思う。病名をつける、という意味ではない。でも、これまでただ苦しかったものに、理由や説明が与えられたとき、人は少し楽になる。
私がすることは、大きく分けると二つある。
ひとつは、「それでいいんですよ」と、その人の状態が前に進んでいることを認めること。もうひとつは、「こういうときは、こういう構造になっているものです」と、その人の中で起きていることに説明を与えること。
ただの混乱だったものに輪郭ができる。輪郭ができると、納得が生まれる。納得が生まれると、人はようやく、自分の中で起きていたことを受け取れる。
それだけで、軽くなることがある。
コンサルでも、占い師でも、スピリチュアルでもない
相談があるとき、私の顔が思い浮かぶと言ってくれる人がいる。「あの人に話せば、スッキリできる」と思って連絡をくれる。
それはたぶん、私が「答えを出してくれる人」だからではない。
コンサルは答えを出してくれる。占い師は見えないものを見てくれる。スピリチュアルカウンセラーは意味を与えてくれる。
でも、私がやっていることは少し違う。
外から何かを持ち込むのではなく、その人の中にすでにあるものを、構造として見えるようにする。だから、スッキリするのだと思う。答えをもらったのではなく、**自分で納得した**という感覚になるから。
「聴いてもらいたい」の前に、もう「この人に」と決まっている。その信頼は、知識があるとか優しいとか、そういう理由ではなく、「あの人と話すと、自分の中が整理される」という体験の記憶が呼んでいる。
会ったことのない人のOSまで見えてくる
面白いのは、相談に来た本人だけでなく、その先にいる相手の構造まで見えてくることがある点だ。
その人がどういう前提で動いているのか。何を求めているのか。どんな関わり方をしやすいのか。
そういうことをフィードバックすると、「まさにそう!」と言われることがある。もちろん、私はその相手に会ったことがない。でも、本人の話の中に、その人のOSのようなものが表れているのだと思う。
人は単独では動かない。関係の中で動く。背景の中で動く。そしてその動き方には、その人なりの癖や前提がある。そこが見えると、出来事の意味が少し変わる。
モヤモヤの、奥側
先日、ある相談で「この出来事の意味は何だと思う?」と聞かれたことがあった。
もちろん、本当のことは当事者にしかわからない。直接聞けるなら、それがいちばん正確だろう。でも、現実には聞けないこともある。聞いたところで答えが返ってくるとは限らないこともある。
そういうとき、人は推測によってでも整理をつけたくなる。
大事なのは、ただ想像をふくらませることではない。目の前にある事実から、その人がどんな構造で動いているのかを見ていくこと。そうすると、ただの憶測ではなく、その人なりの真実のようなものが見えてくる。
その真実に触れたとき、モヤモヤは終わる。
いや、正確には、モヤモヤが終わるというより、その奥にあった本当のモヤモヤが浮かび上がってくる。
「ああ、自分が本当に嫌だったのはそこだったのか」「知りたかったのは相手の気持ちではなく、自分がどこで傷ついたかだったのか」
そう見えてきたとき、人はようやく手放せる。
問題を解決するより、問題の成り立ちを見る
私はたぶん、問題を解決したい人ではないのだと思う。
もちろん、問題が軽くなればいいと思っている。でも、そのためにただ答えを渡したいわけではない。私が見たいのは、その問題がどうやって生まれているのか、ということだ。
何が悪いか。誰が悪いか。どうすればいいか。そこに行く前に、なぜその形になっているのかを見たい。
根っこを見ないまま枝葉ばかり整えていても、また同じことが起きる。
だから私は、根っこを見る。
すると、ときどき人は、答えをもらったからではなく、自分の中で起きていることの構造が見えたから、軽くなる。
その瞬間に立ち会うたびに思う。
話しただけで軽くなるのは、魔法でもなく、特別な共感力でもない。ただ、その人の中で起きていることに、輪郭が与えられたからだと。
傾聴というのは、ただ聞くだけではない。聞きながら、その人の中で何が起きているのかを見ている。枝葉ではなく、根っこを見ている。そしてその見立てが、その人にとっての整理の足場になる。
そんなふうにして、これまでずっと、人の話を聞いてきたのだと思う。
Art of Being |堀口ひとみ
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