私は「ワクワク」が嫌いだった

長い間、「ワクワク」という言葉が好きではなかった。

正確に言うと、ワクワクしている人たちを見ると、少し冷めた気持ちになっていた。


「ワクワクする方を選びましょう」

「ワクワクに従いましょう」


そんな言葉を聞くたびに、心の中でこう思っていた。


「おいおい、もっと現実見ようぜ」

「いや、その結果どうなるかも見ろよ」


たぶん私は、かなり嫌な人だったと思う。


でも最近、その理由がわかった。

私が嫌いだったのは、ワクワクそのものではなかった。

期待のワクワクだったのだ。


期待のワクワクは、未来に向いている。

これが売れるかもしれない。

うまくいくかもしれない。

評価されるかもしれない。

だから楽しい。


でも同時に、不安もセットになっている。

売れなかったらどうしよう。

評価されなかったらどうしよう。

うまくいかなかったらどうしよう。


期待と不安は、だいたいセットだ。


最近、私は久しぶりに「ワクワク」という言葉がぴったりくる感覚を味わった。

きっかけは、たった1ドルだった。


Etsyで販売しているバッグの価格を見ていた。

40.95ドル。

ふと思った。


39.95ドルにしたら、どうなるんだろう。

たった1ドル。


でも40ドル台から30ドル台に見える。

クリック率は悪くない。

もし反応が変わったら面白い。

もし変わらなかったら、それも面白い。


その時、気づいた。

私は売れる未来にワクワクしているんじゃない。

構造が見えるかもしれないことにワクワクしているのだ。


後でAIにその話をしたら、こんな言葉が返ってきた。

「そのワクワクは、期待ではなく発見ですね」

なるほどと思った。


期待のワクワクは、結果待ちだ。

発見のワクワクは、今ここにある。


「ああ、そういうことだったのか」

「なるほど、ここが原因だったのか」

「面白い」

発見そのものが報酬になる。


振り返ってみると、最近の私はそんなことばかりだった。


長年反応が来なかった理由。

内輪向けになっていた発信。

自分の強み。

AIとの対話。

数字と感性の関係。

全部、「ああ、そういうことだったのか」の連続だった。


もしかすると人生が動き始める時というのは、期待のワクワクが大きくなる時ではなく、発見のワクワクが増える時なのかもしれない。


私はようやく、「ワクワク」という言葉を少し好きになった。


ただし条件がある。

未来を夢見るワクワクではなく、

世界が少しずつ見えるようになるワクワクだ。


あなたが今感じているワクワクは、

どちらだろうか。

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