身体は過去を生きている──面倒くささの本当の理由

〜身体の反応を読むと、見えてくるもの〜


「やりたいんだけど、面倒くさいんです」

セッションで、よく出てくる言葉です。


でも話を聞いていると、本当にやりたくないわけではないのです。

興味はある。

やった方が豊かになることも分かっている。

本当は、表現したい気持ちもある。


それでも、いざやろうとすると気が重くなる。

面倒くさくなる。

手が止まる。


昔の私なら、そこでこう考えていたと思います。

「どうすれば面倒くさくなくなるだろう?」

「もっと簡単な方法はないかな?」

「続けやすい仕組みにすればいいのでは?」

つまり、面倒くささを“解決すべき問題”として見ていました。


でも最近は、少し見方が変わりました。

面倒くさいという反応が出た時、

私はまず、その反応を消そうとしません。


代わりに、こう見ます。

身体は何を覚えているんだろう?


先日のセッションでも、ある方がこんな話をしてくれました。


好きなことを続けている。

感動もする。

本当は、その感想を書きたい。


でも、いざ発表しようとすると気が重くなる。

やりたいのに、面倒くさい。


話を聞いているうちに見えてきたのは、

「やりたくない」ではありませんでした。


むしろ奥にあったのは、

「また同じことになる気がする」

という感覚でした。


どうせ見てもらえない。

どうせ続かない。

どうせ反応はない。

本人がはっきりそう言ったわけではありません。


でも身体は、過去の感覚を覚えています。


新しいことを始めようとしているつもりでも、

身体は過去の記憶をもとに反応することがあります。

だから、面倒くさくなる。


それは怠けではなく、

身体が「また同じ道に行くの?」と教えてくれているサインなのかもしれません。


面倒くささの正体は、

エネルギー不足ではなく、

過去の繰り返しかもしれない。


もし同じ映画を100回見ろと言われたら、

どんな名作でも面倒になります。


同じやり方。

同じ期待。

同じ失望。

同じ結末。

身体がそれを先に知っているから、重くなる。


逆に、本当に新しいことには、

怖さや緊張はあっても、どこかに好奇心があります。


「どうなるんだろう」

「試してみたい」

「少し見てみたい」

そこには、未来への余白があります。


だからもし今、

やりたいのに面倒くさいことがあるなら、

こう問いかけてみてください。


私は本当に新しいことをしようとしているだろうか?

それとも、

過去と同じやり方を、もう一度繰り返そうとしているだろうか?


面倒くさいのは、やる気がないからではないかもしれません。

身体が、

「その道はもう十分歩いたよ」

と教えてくれているのかもしれません。


身体の反応は、直すものではなく、読むもの。


面倒くささの奥には、

まだ見えていない新しい道があるのかもしれません。

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