ときどき、岡田斗司夫さんへの相談系の動画を見ていると、10代や20代からの質問が意外と多いことに気づきます。
AI時代なのに、不思議です。
仕事のこと。
恋愛のこと。
進路のこと。
生き方のこと。
今ならChatGPTに聞けば、ある程度の整理やアドバイスは返ってきます。
実際、若い世代ほどAIとの距離は近いように感じます。
分からないことがあれば検索するようにAIに聞く。
悩んだらAIに話す。
文章を書いたらAIに見てもらう。
そんなことが当たり前になり始めています。
それなのに、人は人生相談をする。
なぜでしょうか。
AIは自己探求のパートナーになる
私は、AI時代の自己探求は大きく変わると思っています。
これまで自己探求というと、本を読んだり、日記を書いたり、コーチングを受けたりすることが中心でした。
でも今は違います。
AIに話せます。
24時間いつでも。
何度でも。
遠慮なく。
まとまっていなくても。
感情的でも。
途中で話が変わっても。
AIは怒りません。
否定もしません。
だから、自分の中にあるものを外に出す相手として、とても優秀です。
実際、私自身もAIとの対話を通して、自分の考えが整理されたり、自分でも気づいていなかった前提に気づくことがあります。
私は今、AIとのジャーナリングや自己探求の場を作っていますが、その背景にはこの可能性があります。
AIは単なる便利ツールではなく、自分を見つめる鏡になり始めている。
そんな感覚があります。
でも、人は自分の箱からは出られない
ただ、ここで一つ問題があります。
AIは基本的に、こちらが渡した情報をもとに対話します。
つまり、
自分の価値観。
自分の前提。
自分の世界観。
そういったものを整理し、言語化することは得意です。
でも、人間にはもう一つ難しいことがあります。
それは、
自分の見方から抜けられないこと。
です。
私たちは誰でも、自分なりのレンズで世界を見ています。
だからこそ、どれだけAIと対話しても、そのレンズの中で考え続けてしまうことがあります。
もちろん、それでも十分価値があります。
むしろAIによって、多くの人がこれまで以上に自分を理解できるようになるでしょう。
でも、その先があります。
人は答えではなく、解釈を求めている
以前、友人から恋愛相談を受けたことがあります。
私に意見を聞かせてほしいというのです。
相談というより、一枚の写真を見せられました。
そして、
「これ、どう解釈する?」
と聞かれたのです。
面白かったのは、その友人が求めていたのが事実ではなかったことです。
写真に何が写っているかは分かっています。
でも、その意味が分からなかった。
実はその友人、その写真を他の友達にも見せていたそうです。
それでも腑に落ちなかった。
ところが私がある解釈を伝えた瞬間、
「あ、それそれそれ!」
と言いました。
そして続けて、
「謎が解明された」
と言ったのです。
私はその時、
人は答えを求めているのではないのかもしれないと思いました。
求めているのは、
解釈。
あるいは、
見方。
なのかもしれません。
AIではなく、人を訪ねる理由
考えてみると、人が誰かに会いに行く理由も同じなのかもしれません。
答えをもらうためではなく、
その人の見方を借りるため。
その人のレンズを借りるため。
だから人は、
ある人の人生相談を見続けたり、
ある人の本を読み続けたり、
ある人の発信を追い続けたりする。
そこにあるのは情報ではありません。
視点です。
「そんな見方があったのか」
「その発想はなかった」
「私はそこを見ていなかった」
そういう体験を求めている。
だからAI時代になっても、人は人を求めるのだと思います。
AI時代の自己探求は二層になる
私はこれから、
自己探求は二層になると思っています。
一つは、
AIと行う自己探求。
自分の反応を見る。
考えを整理する。
感情を言語化する。
自分で気づく。
もう一つは、
人から視点を受け取ること。
自分では思いつかない解釈。
自分では見えないレンズ。
自分の箱の外にある見方。
AIは自己探求を助けてくれる。
でも、ときどき人は、自分とは違う世界の見方に出会う必要がある。
私はその両方が大切だと思っています。
人に変えてもらう時代から、自分で気づく時代へ
私は長年、対話やコーチングの仕事をしてきました。
でも振り返ると、私が本当にやりたかったことは、人を変えることではありませんでした。
人が自分で気づけるようになること。
それを支援することでした。
AI時代になって、その可能性はむしろ広がっています。
AIによって、誰もが自己探求できるようになる。
そして必要な時には、自分とは違うレンズを持った人から視点を受け取る。
AIで深める。
人から視点を借りる。
そしてまた自分に戻る。
もしかするとAI時代とは、人に答えをもらう時代の終わりではなく、
自分で気づく時代の始まり
なのかもしれません。
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