2023年、ChatGPTが登場した。
最初は、みんな同じような使い方をしていた。
文章を書いてもらう。
メールを添削してもらう。
要約してもらう。
「こんなことまでできるんだ。」
そんな驚きから始まった。
画像生成AIが登場したときも同じだった。
「AIで絵が描ける。」
それだけで、十分に衝撃だった。
AIが、仕事の相棒になった
2024年になると、AIは少しずつ「仕事の相棒」になっていった。
企画を考える。情報を整理する。画像を作る。音声を生成する。
効率化の道具として使う人が増えていった。
そして2026年。
AIはホームページも、アプリも、かなり複雑な制作までも、一緒に進められるようになった。
ここまで来ると、問いは変わる。
「AIで何ができるのか。」ではない。
私は何を作りたいのか。
そのために、AIをどう使うのか。
見えてきたのは、AIの性能ではなかった
この3年間、私はほぼ毎日、AIと仕事をしてきた。
セッション、執筆、ブランディング、コンテンツ制作、デザイン、事務仕事、行政手続きまで。気づけば、AIは生活の中に深く入っていた。
その中で、はっきり見えてきたことがある。
AIの性能ではない。使う人間の違いだった。
同じChatGPTを使い、同じ画像生成AIを使っていても、ある人は回答を得て終わる。ある人は、そこから仕事そのものを変えてしまう。
最初は、プロンプトの違いだと思っていた。
でも、違った。
プロンプトもまた、問いから生まれていた。
そして問いは、その人の人生から生まれていた。
問いは、どこから生まれるのか
先日、同じ画像生成AIに、二つの違う指示を出してみた。
一つは、「〇〇のようなデザインを生成して」という具体的な指示。
もう一つは、
「日本のお香という文化を、海外から見たモダンジャパニーズとして表現するとしたら?」という問い。
返ってきたものは、まったく違った。
その問いはどこから生まれたのか。
森英恵の展示を見たこと。日本文化への興味。美しいと感じる感性。これまで重ねてきたインプット。その人だけが歩いてきた時間、見てきた景色。
そこから問いは生まれる。
AIは、その問いを受け取り、形にしてくれる。
けれど、問いそのものを生きてきたわけではない。
2023年、AIに投げた問い
実は2023年に出版した本の最後の章で、私は「ChatGPTが持たない感情について」「時間感覚について」「経験について」というテーマを書き、「一問一答で広がる人間の可能性」という章で締めくくった。
あの頃、私はAIにこう問いかけていた。
「人間にあって、AIにないものは何ですか。」
あれから3年、AIは驚くほど進化した。
それでも、毎日AIと仕事をし続けた私に返ってきた答えは、シンプルだった。
人間が育てるべきものは、何一つ変わっていなかった。
感情。経験。時間。そして、それらから生まれる問い。
AIは、それを代わりに生きることはできない。
けれど、人間が生きてきたものを、何倍もの力で形にすることはできる。
AI時代に必要なのは、新しい人間になることではない
AIが登場したとき、多くの人が「AI時代には新しいスキルが必要になる」と考えた。私もそう思っていた。ファシリテーションだろうか。AIを束ねる力だろうか。もっと高度なプロンプトだろうか。
でも、3年間AIと向き合って見えてきたのは、むしろ逆だった。
AI時代になったから、急に人間を育てる必要が出てきたのではない。
人間を育ててきた人ほど、AIによって可能性が広がる。
AIには知識がある。計算も速い。文章も書ける。画像も作れる。
でも、展覧会で立ち止まった時間はない。誰かとの対話で心が震えた経験もない。失敗して眠れなかった夜も、何年も続けた末に手放したものも、ようやく何かが腑に落ちた朝もない。
人生を生きた記憶がない。
だからこそ、それを持っている人間が問いを立てる。
その問いが、AIの答えを変えていく。
人間は、何を育てるのか
AIが進化したからこそ、人間にしかできないことが、以前よりはっきり見えるようになった。
展覧会へ足を運ぶこと。人と対話すること。音楽を聴くこと。心が動いた瞬間を、言葉に残すこと。迷うこと。失敗すること。時間をかけて経験を積むこと。
それらは、AIが登場する前から、人間がずっとやってきた営みだった。
けれど、AI時代になって、その価値はむしろ大きくなった。
なぜなら、それらの体験が、その人だけの文脈になり、問いになるからだ。
そしてその問いがAIを動かし、作品を生み、仕事を変え、人の可能性を広げていく。
AIは、代わりに生きてはくれない
AIは、私の代わりに文章を書くことはできる。
けれど、私の代わりに人生を通ってくることはできない。
私が見たもの、感じたこと、積み重ねてきた時間。
それらがなければ、AIに渡す問いも、創作の方向も生まれない。
だから、AI時代の創作とは、AIに何かを作らせることではない。
自分を通して生まれようとしているものを、AIと一緒に形にすること。
AIは編集者になれる。壁打ち相手になれる。調律師にもなれる。
でも、最初に鳴る音は、人間の側にある。
2026年、私に返ってきた答え
2023年、私はAIに問いを投げた。「人間にあって、AIにないものは何ですか。」
2026年、その答えは、AIからではなく、この3年間AIと生きた私自身から返ってきた。
感情を持つこと。時間を生きること。経験を重ねること。そこから問いを育てること。
そして、自分を通してしか生まれないものを、世界へ通すこと。
AI時代になったから、人間が新しい何かに変わる必要はなかった。
人間が昔から育ててきたものこそ、AI時代に最も価値を持つ。
だから私は、これからも人間を育ててしていく。
体を整える。感性を磨く。世界を見る。人と話す。静かに自分の音を聴く。
そして、そこから生まれた問いをAIへ渡す。
AIに自分を消してもらうのではなく、AIによって、自分をより深く通していく。
AI時代、3年目。見えてきたのは、AIの未来ではなかった。
人間が、自分の人生をどう生きるかだった。
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