先日、いつものように新しいMyGPTを作ろうとしました。
作るところまでは、いつも通りでした。
でも、最後に「共有」しようとしたところで、手が止まりました。
これまでずっとあった、
「リンクを知っている人全員に共有する」
という選択肢が、なくなっていたのです。
「あれ?」
私はこれまで、自分でつくったMyGPTを、講座やサービスの中で参加者に使ってもらってきました。専用のAIをつくり、そのリンクを渡す。いわば、AIを期間限定で"お貸しする"ような使い方です。
でも、新しく作ったGPTでは、それができない。
「仕様が変わっただけかな」
そう思って、別のChatGPTアカウントを開いてみました。
そこで、もう一度驚くことになります。
今度は、GPTを作るための項目そのものが、見当たらないのです。
共有できないどころか、そもそも新しくMyGPTをつくること自体ができなくなっていました。
調べてみると、OpenAIの公式ヘルプにこうありました。
現在、Free・Go・Plus・Proを含む個人用ChatGPTアカウントでは、新しいGPTの作成・公開ができない。既存のGPTは引き続き使えて、条件を満たせば編集も可能
——とのことでした。
そこで初めて気づいたのです。
これは、共有方法が変わっただけの話ではないんだ、と。
生き残った、ふたつのAI
私には、以前からつくって使ってきたMyGPTがあります。
ORIONと、STELLA。
それぞれに役割を持たせ、問いや対話の流れを設計し、プログラムの中で参加者に使ってもらってきました。
今の仕様では、こうした既存のGPTは、まだ生きています。
以前につくっていたからこそ残っている、少し珍しいAIたち。まるで、扉が閉まる直前に滑り込んだ最終便の乗客のようなものです。
そう考えると、自然とひとつの問いが浮かんできました。
これからは、
「次のMyGPTを作る」
ではなく、
「AIとの対話そのものを、どう設計するか」
という方向に進んでいくのかもしれない、と。
ひとつのドアが閉まったとき、
「終わった」
で止まるのか。
それとも、
「じゃあ、今度は何ができる?」
と問い直せるのか。
その分かれ道に、今、私は立っていました。
私がMyGPTで、本当に試していたこと
そもそも私は、MyGPTを「便利なAI」として作っていたわけではありませんでした。
試していたことが、ひとつありました。
AIの側に対話の性質を持たせたら、人は普段とは違う対話ができるのではないか。
たとえば——
自分で問いを深めるのが得意でない人でも、相手のAIが問いを返してくれる。
すぐに答えを決めつけず、少し違う角度から見せてくれる。
こちらの反応を過剰に肯定するのではなく、ニュートラルに返してくれる。
対話を続けているうちに、自分でも気づかなかった考えが、ふと言葉になる。
つまり、プロンプトを上手に書けるかどうかではなく、「どんなAIと話しているか」によって、対話そのものが変わるのではないか。
そんな仮説です。
ORIONもSTELLAも、その実験の中から生まれました。私が対話相手としての性質を設計し、そのAIをコミュニティの中で使ってもらう。そうすれば、私自身がAIとの対話で味わっている「深さ」を、ほかの人も体験できるのではないか。
そう思って、続けてきました。
では、専用のAIを持てない人は、どうするのか
けれど、新しいMyGPTを作ることも、これまでのように共有することも、難しくなってきています。
以前からつくっていたORIONとSTELLAは、今のところ使えている。だから私のコミュニティの中では、もうしばらくこの実験を続けられるかもしれません。
でも——誰もが、これから同じようにAIを作れるわけではない。
誰かが設計した「対話を深めてくれるAI」を使う経験がないまま、普段のChatGPTやClaude、Geminiと向き合っていく人のほうが、これからは多くなるはずです。
そう考えていたら、結局、ひとつのところに戻ってきました。
では、自分が普段使っているAIとの対話を、どう深めるか。
AIにどんな問いを投げるのか。
返ってきた答えの、どこに違和感を持つのか。
「それは一般論では?」と、問い直せるか。
「私は本当は、何を知りたいんだろう」と、自分にも問い返せるか。
AIから答えをもらうのではなく、AIとの往復の中で、自分の考えを育てられるか。
結局ここに、必要なものがある。
問いの力、です。
AIが賢くなるほど、際立っていくもの
AIが進化すれば、問いは必要なくなる——そんなふうに言われることがあります。
でも私は、そうは思っていません。
むしろ、AIがどんどん賢くなるほど、人間が何を問い、どこまで対話を続けるかの違いが、これから大きくなっていくのではないかと思っています。
専用のMyGPTを作れた時代には、AIの側にその「深める力」を持たせることができました。
でも、それが誰にでもできるものではなくなるなら、今度は逆に、
自分が使っているAIを、自分にとって対話できる相手に育てていく。
そんな向き合い方が、大切になってくるのかもしれません。
AIを「答えを出す道具」にするのか。
それとも、自分の思考を深め、創造性を広げる、もうひとつの頭脳のような存在にしていくのか。
その分かれ目をつくるものは、やはり——
問い、なのだと思います。
MyGPTを作れなくなったところから考え始めて、結局また「問い」に戻ってきました。
AIが変わっても、ここは変わらないのかもしれません。
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