昨日は、ライフコーチとして20年以上対話を続けてきた私が、日々使っているGPTの対話のあり方をMyGPTにした「ORION」について書きました。
今日は、その続きです。
もうひとつ、私がつくったGPTに「Stellar」があります。
Stellarは、何か嫌なことが起きたとき、その気持ちをすぐに消したり、前向きに変えたりするためのAIではありません。
むしろ、
嫌だった。
不安だった。
モヤモヤした。
そう感じたことを、そのまま置く。
そして、その反応のまま次の行動や判断を決めない。
そんな対話をするように設計しています。
「嫌なことを解消しなくていい」と言われて戸惑った
Stellarを初めて使った方から、こんな感想をいただきました。
Stellarに嫌なことを解消しなくていいんだよって言われて、
えっ?何も変わらないってこと?となっていて、
嫌だなって置くっていう感覚がわかりませんでした。
この反応は、とても自然だと思います。
嫌なことがあったら、解決したい。
嫌な気持ちが出てきたら、早く消したい。
私たちはつい、そう考えます。
でも、感情を無理に解消しようとすると、かえってその感情に意識を取られ続けることがあります。
Stellarとの対話では、まずその感情を「なくす対象」にしません。
あるものとして認めて、そのまま置く。
ここから始めます。
「その電車に乗って、終点まで行かなくていい」
対話を続けているうちに、その方の頭の中に、ひとつの映像が浮かんだそうです。
頭の中で、ホームで電車が通り過ぎていく感じの映像が出てきて。
嫌なことが通り過ぎていく感じと、
その嫌な気持ちの電車に乗って終点に行かなくていいんだよとあって。
なるほどと思いました。
私は、この比喩がとてもわかりやすいと思いました。
嫌な感情が来る。
でも、その電車に必ず乗る必要はない。
乗ってしまうと、
嫌だった
↓
やっぱり私はダメだ
↓
どうせまたこうなる
↓
もうやめたほうがいい
と、反応が次の反応を呼んで、終点まで連れていかれることがあります。
けれど、
「これは私が乗る電車じゃない」
と思えたら、そこで一度止まれる。
感情そのものは来ても、そこから先の物語まで全部引き受けなくていい。
その方は、
新幹線みたいに早くすぎて行くといいなとか。
これは私が乗る分じゃないな、こっちの電車だとか自然にできたら楽になるなぁと思っています。
と表現されていました。
AIが答えを与えたのではなく、自分の比喩が生まれた
ここで興味深いのは、Stellarが「電車で考えてください」と教えたわけではないことです。
対話を重ねる中で、本人の中から自然に映像が出てきた。
その映像を使うことで、
「感情を解消しなくていい」
という最初はわかりにくかった考えが、自分の中で理解できるものに変わった。
私は、ここにAIとの対話設計の面白さがあると思っています。
AIコーチというと、
「正しいアドバイスを返すAI」
「適切な質問をするAI」
のように考えられがちです。
でも、実際に対話を深めるなら、それだけでは足りません。
すぐに答えを与えない。
感情を否定しない。
前向きに変えようと急がない。
本人が、自分にとってわかる言葉や比喩に辿り着く余白を残す。
その設計によって、AIは単なる回答ツールではなく、考え方や感じ方を整理する対話相手になっていきます。
「解決する」より、「反応のまま決めない」
私が続けている1D1Uでは、ひとつ大切にしている考えがあります。
現実は無視しない。
反応も無視しない。
でも、その反応のまま次の現実を決めない。
嫌なことがあった。
それは事実。
嫌だと感じた。
それも事実。
でも、
「だから、もうやめよう」
「だから、私は向いていない」
「だから、きっと次もダメだ」
まで自動的に進まなくていい。
Stellarは、その間に少しだけ余白をつくる役割をしています。
今回の「電車」の比喩は、その余白をとてもわかりやすく表していました。
AIとの対話は、どこまで人の内側に届くのか
昨日のORIONでは、
視野が広がり、自分の答えに辿り着く対話
が起きていました。
今回のStellarでは、
感情を消さずに、反応との距離をつくる対話
が起きています。
同じ生成AIでも、どんな問いを置き、何を急がせず、どんな余白を残すかで、対話の質は変わります。
私は20年以上、人との対話やコーチングを続けてきました。
そしてこの3年、生成AIを使いながら感じているのは、
AIの性能だけではなく、人間側がどんな対話を設計するかが重要になる
ということです。
AIに答えを出させるのではなく、本人が自分なりの理解に辿り着くために使う。
その可能性は、まだかなりあると思っています。
「嫌な気持ちの電車に乗って、終点まで行かなくていい」
今回の感想を読んで、Stellarが伝えたかったことを、私自身もあらためて教えてもらった気がしました。
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