Toy story 3でボロボロ泣いて、待ってましたという感じの4鑑賞してきました! 30分前に観終わったばかりで、レビューを書きたいと思います。ネタバレになるので、お気を付けください!
3で、アンディーが大学生になるからということで、ボニーのところへ譲られることになった、ウッディたち。しかし、ボニーは女の子なので、ウッディは相手にされず、クロゼットの中で過ごす日々が多くなりました。ある日、ボニーが幼稚園のオリエンへ行くということで、泣いていたボニーを守るために、ウッディがリュックの中に潜り込んで、同行します。やはりボニーは、とても自信なさげで寂しそうにしていました。そこで、ウッディが元気づけてあげようと、助け舟をだし、ボニーは幼稚園でプラスチックフォークでおもちゃを作り、「フォーキー」と名付けて、元気を取り戻すことができました。ボニーにはフォーキーが欠かせない存在になったわけですが、フォーキーは、ごみからできているため、「ごみ、ごみ」と言いながらフォーキーは、ふと目を話すとゴミ箱にダイブしてしまうわけです。そうならないようにウッディは、必死に見張りをするわけです。つまり、おもちゃとして遊んでもらえなくなったわけですが、(ウッディもごみ?)ボニーは持ち主なので、主人のために(頼まれてもないのに)全力で頑張ってしまうウッディでありました。他人の言葉に耳も傾けず、一心不乱にボニーのために、頑張ります‥‥というところから、物語が始まりました。
ある時、アンティークショップで、以前一緒にいたおもちゃ、しかも少し恋心を寄せていたボーという姫キャラと再会。今は、持ち主がいないけれど、自由な世界を楽しんでいる存在です。そのボーに「あなたはボニーのためじゃない。自分のために行動しているのよ」と。そして、そのボーのお供のキャビーに「持ち主と一緒にいることが、本当に素晴らしいことなの?」とも言われ、ウッディは、「そうだよ…」と悲しそうな顔で答えるのでした。
ウッディーは「持ち主といることが一番幸せ」という価値観ですから、ボーは経験を経て考え方は、もうBeyond!している自由な存在でした。それで、ウッディは「何のために生きているんだろう?」と考えだしちゃうのです。
そこから、映画の中でのセリフにもなっている「内なる声に聴いてみる」と、ウッディは自分の内面の声を聴き始めます。今までは、そうじゃなかったんですね。「持ち主のため、それが自分のため」になっていましたから。
それから、いろいろな冒険がありまして、ウッディは自分の身を削って、「持ち主が欲しい」と願うドールのために、自分の大事な部品をあげたり、利他的に目覚めていくのです! 一体自分にとって何が幸せなのか? 「幸せにしてもらうことが幸せ」だった人が、「人が幸せになるサポート側」に回る物語なのです。
それに気づいたのが、エンドロールでした。「あれ?Toy storyてこんな終わり方でいいの?」と一瞬思ってしまったのです。全然泣けてこないし…と。しかし、自分の駅に着いたときには、鳥肌が立ちました。「これは、利己的から利他的に視点が変わるストーリー」だと。3から、しっかりと続いていたのです。
吹き替え版のほうを観ていたので、トム・ハンクスの声のほうで、もう一度観たくなりました。今度は、そういう物語なんだと思ってみたいです。Toy Story 4、かなり深いと思います。
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