マザー・テレサが、なぜ「死に行く人のための家」を作ったのか?

 クライアントさんは、ご高齢のお母さまの片付けや介助のために、長距離の往復をしているそうです。コロナ禍で体が一気に不自由になってしまったそうで、急に変わり果てた姿にかわいそうと思いながらも、片付けをしていると浪費のものを発見したり、普段から整理整頓してほしかったと、怒りが湧いてくるそうです。どうにかその状況を受け入れたいけれど、ついついきついことを言ってしまう自分がいるそうです。

 よくありそうな話です。特にコロナ禍で、お年寄りたちは体が動かなくなり、そうすると日常の片付けも難しいし、過去の片付けなんてもっとできないでしょう。私の父もコロナ禍の影響を受け、数か月の薬の投与とリハビリでようやく復活してきたところです。


 昔は素敵にしていたのに、一気に変わってしまう。つらいとか悲しい気持ちになりますが、昔のことと今を比較しても、何の解決にもなりません。問題点や過去に焦点を当てるときりがないです。やはりここでも「今」を大事にすることです。

 かつて、精神対話士の講座を受講していたときに、マザー・テレサが、なぜ「死に行く人のための家」を作ったのか? というお話を聞きました。それは、どんな人でも最期に「いい人生だった」と感じてもらえるようにです。その考えは本質的です。本当にそれしかないと思いました。残りの日々を幸せに過ごしてもらう。私の両親も高齢になってきてますので、私もそう思いながら、両親との時間を増やし、やさしくポジティブに接するように心がけています。

 関心するのは甥です。過去のことを何も知らない6歳の少年は、おじいちゃんの手を引いて、寄り添い歩いているのです。

 クライアントさんにそんな話をしたら、これからどう接していくことがある意味正解なのか? 見えてきたようでした。