私が29歳の時の苦悩。「求めるものが受け取れないとき」

【ヨガの先生の小話】

 自分のぶれない心が大切ですが、それでもぶれてしまうのが心です。自分が何が欲しいかわかるだけでも、日々の過ごし方が変わると思います。

 自分が欲しいものを知る方法があって、ゲーム的なやり方なのですが、二人で10分間、「あなたは何が欲しいですか?」とずっと訊き続ける。そうすると、だんだん考えないと答えは出なくなります。

 最初は、「・・・が欲しいです」と、物質的なものが多いんだそうです。だんだんモノでなくなっていき、地位や名誉など、形に見えないものが出てきます。さらにそれも出なくなって、考えて、考えてでてくるものは、感情的なものになるのだそうです。「やさしさが欲しいとか…」それでも訊かれ続けていくと、最後の最後に出てくる答えは「安心」ってほとんどの人は言うんだそうです。それで答えがでなくなるそうです。

 「安心」って誰もが欲しく、誰もがあるだけで心があったかくなり、幸せになるものだと思います。私たちはそういったものを誰かに求めてしまう。それで手に入らないと、また寂しくなったり、の繰り返しです。でも私たちが求めてしまう、根本的な悩みを考えると見えてくることがあります。求めるのではなく、与えていこう、と考えれば、行動も気持ちも変わります。

 そもそも子供のころは、「求めて行動し、与えてもらう」という時期です。そして、もう少し成長すると「与えてもらう+自分が手に入れる方法」を学んでいく時期です。青年期になると「与えてもらうのではなく、自分で手に入れていこう、となる」そしてそれ以降、「手に入れたものを与えていく時期」になります。だから求めていてても、自分自身は満足できないんですよんね。今までもらったものを、与えて初めて、満足できる時期に来ているのです。

 まだ足りないと思うのは、自分で手に入れていない、誰かに与えていないから、満足できない状態になるのです。ただ求める、にならないようにしてください。「自分が与えてもらったものを循環して与える時期」。それが自分の心の安心になっているんだと、気づくだけで生活が変わっていくと思います。

 この話を聴きながら、私が29歳の時の苦悩を思い出しました。自分が店長として「認められたい、認められたい」とずっと思っていたのですが、上司がなかなか店に来ないし、評価の面談でも、望む承認の言葉が返ってこず、まだまだ、と言われるばかりのころでした。

 しかし、あるときふと気づいたのです。「自分は店長なのだから、自分が部下を承認する番になったんだ」と。なぜかそう気づいたのです。承認欲求を手放しました。

 そのときは、未来が変わるなんてことは全く想像もついていませんでしたが、今から思えば、その瞬間、未来へのフォーカスが変わっていたんですね。それから1年後、私の人生は激変していたのです。