「相手と深くかかわることについて。どこまでかかわっていけばいいのか?どこまで聞けばいいのか?」というテーマでのセッションでした。
教える仕事をされている方で、自分の先生は自然と取り繕うこともなく、心地よく指導しているように感じ、自分ができることをしてあげよう。その人が良くなるようにという、愛情が溢れている感じを受けるそうです。また、ご主人のお母様も愛情が溢れているような人との関わり方だそうで、自分との違いを感じるようでした。
相手のために本気になれていないような、出し惜しみをしているような、相手に何かオススメするにも、「最終的に相手だし」と思うと、そこまで言わなくてもいいかなとなってしまうようでした。
確かに最終的に相手です。でも、それでは指導者として、役割を果たせていないような、微妙な感じです。
じゃあ、意図的に言う範囲を増やせばいいのでしょうか? そうクライアントさんに質問してみると、「自分の中で未熟があるので、話すことに確信が持てないのかもしれない」とおっしゃいました。
「自分で自分の言うことに点数をつけているってことですね」と私がフィードバックすると、「最終的に相手」というよりも先に、自分が自分で止めていることにハタと気づかれました。
教える仕事をされている方で、自分の先生は自然と取り繕うこともなく、心地よく指導しているように感じ、自分ができることをしてあげよう。その人が良くなるようにという、愛情が溢れている感じを受けるそうです。また、ご主人のお母様も愛情が溢れているような人との関わり方だそうで、自分との違いを感じるようでした。
相手のために本気になれていないような、出し惜しみをしているような、相手に何かオススメするにも、「最終的に相手だし」と思うと、そこまで言わなくてもいいかなとなってしまうようでした。
確かに最終的に相手です。でも、それでは指導者として、役割を果たせていないような、微妙な感じです。
じゃあ、意図的に言う範囲を増やせばいいのでしょうか? そうクライアントさんに質問してみると、「自分の中で未熟があるので、話すことに確信が持てないのかもしれない」とおっしゃいました。
「自分で自分の言うことに点数をつけているってことですね」と私がフィードバックすると、「最終的に相手」というよりも先に、自分が自分で止めていることにハタと気づかれました。
しかしながら、自分の中で未熟なところがあったとしても、その未熟な中でも「相手のために本気になった」という感覚が残れば、後悔はないのではないかと思うのです。そのあたりのことを聞いてみると、お母様がよく言う言葉を思い出されていました。
「別にいいんだけど」という言葉を聞いたとき、クライアントさんのなかで、イライラの感情が湧くときがあるそうです。「別にいいんだけど」は、どことなく引きずっているようにも聞こえてきます。
クライアントさんの中でも、「別にいんだけど」と似たような出来事があったかどうか?振り返ってもらいました。
受験生である生徒とのやりとりで、「経験が少ないようだ。緊張する機会を体験する場をもっと持てばいいのに」と思ったので、「講習会受けたら?」などアドバイスしたそうですが、その生徒さんは講習会を受けなかったそうなのです。もっと言えばよかったかなと、後悔につながっているようでした。生徒が行動しなかったのは、生徒の責任かもしれませんが、指導者としては、生徒を合格へ導くことが仕事です。どうにか行動を促進させたいところです。
母親に感じていたイライラは、自分の中にもあったということです。
では、どうしたら後悔しなくなるのでしょうか? 相手に一生懸命に関わりながらも、相手を手放せる境地?
おそらく、有能なコーチ、指導者は、教えているというよりも、ポテンシャル(潜在能力)を引き出しているのではないでしょうか。
受験生の例も「講習会を受けたら?」と1つの解決策だけでなく、本人がやる気になる楽しい方法を一緒に考えるようにも関われたと思います。
「強くなるための方法は1つだけじゃない」と教えてもらった映画があります。2010年の映画『ベスト・キッド』は、少年をカンフーに勝たせるために、上着をハンガーに掛け、取り、着て、脱ぎ、落とし、拾い、そしてまた掛ける、という動作を繰り返させるというカンフーとは関係なさそうなことをさせていましたが、優勝へと導かれるストーリーです。
クライアントさんもお好きな映画だそうで、ご覧になられていました。
「別にいいんだけど」という言葉を聞いたとき、クライアントさんのなかで、イライラの感情が湧くときがあるそうです。「別にいいんだけど」は、どことなく引きずっているようにも聞こえてきます。
クライアントさんの中でも、「別にいんだけど」と似たような出来事があったかどうか?振り返ってもらいました。
受験生である生徒とのやりとりで、「経験が少ないようだ。緊張する機会を体験する場をもっと持てばいいのに」と思ったので、「講習会受けたら?」などアドバイスしたそうですが、その生徒さんは講習会を受けなかったそうなのです。もっと言えばよかったかなと、後悔につながっているようでした。生徒が行動しなかったのは、生徒の責任かもしれませんが、指導者としては、生徒を合格へ導くことが仕事です。どうにか行動を促進させたいところです。
母親に感じていたイライラは、自分の中にもあったということです。
では、どうしたら後悔しなくなるのでしょうか? 相手に一生懸命に関わりながらも、相手を手放せる境地?
おそらく、有能なコーチ、指導者は、教えているというよりも、ポテンシャル(潜在能力)を引き出しているのではないでしょうか。
受験生の例も「講習会を受けたら?」と1つの解決策だけでなく、本人がやる気になる楽しい方法を一緒に考えるようにも関われたと思います。
「強くなるための方法は1つだけじゃない」と教えてもらった映画があります。2010年の映画『ベスト・キッド』は、少年をカンフーに勝たせるために、上着をハンガーに掛け、取り、着て、脱ぎ、落とし、拾い、そしてまた掛ける、という動作を繰り返させるというカンフーとは関係なさそうなことをさせていましたが、優勝へと導かれるストーリーです。
クライアントさんもお好きな映画だそうで、ご覧になられていました。
指導者、コーチの立場としては、相手からポテンシャルも引き出すことが、相手と深くかかわれることなのだと、セッションをさせていただきながら、私も改めて気づきました。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
相手から引き出すことを意識されていますか?
0コメント