個人主義のパートナーと一緒にいるって、どういう感覚なんでしょう?

 お買いものの帰り道、荷物を「持ってあげる」と旦那さんに言うと、いやいやながら、荷物を渡されたそうです。こちらの好意なのに。「だったらいいわよ」とクライアントさんは怒りが湧いてきて、小さい娘さんと旦那さんをおいて、1人で家に帰ったそうでした。それから3週間くらい口をきいていないようでした。

 爆発するまで我慢強いところがあるから、小出しにしていけばいいのかな、とあとから自分を振り返って思ったそうです。それにしても、夫婦であるのに、何のために2人でいるわけ? と思う。優しい提案が出来なくなるじゃないか…と。

 庭師夫を持つ友達に相談したら、「男のプライドだから、手伝わせないんじゃない?」との見解が返ってきて、少しはそうかもと思ったようでした。それでもまだ、口をきける状態ではありませんでした。

 どうすれば、愛は見つかるのでしょうか?

 クライアントさんが、台所で作業をしているときに、旦那さんが「手伝うことある?」と聞いてきたので、旦那さんにされたように、自分も同じように返してみたそうです。「あなたと同じ嫌味を言ったのよ」と言うと、旦那さんは「そう思われると残念だ」と言ってきたとか。

 「どんなことを言われたら、一番嬉しいんですか?」と私が質問すると、「そうだね、というフレーズが欲しいんです。一緒にいる意味がないです」と返ってきました。自分の意見に共感をしてほしいとクライアントさんは思っているようです。

 でも、共感を「言葉」として言い表さなくても、「行動」で共感をしてくれることはあるのではないでしょうか。言葉でなく、「一緒にいる理由になっている事実」を探してみることにしました。言葉に頼ると、目には見えない大切なことを見落としてしまいます。

 「一緒に住んでいる。娘さんと遊んでくれる。収入を入れてくれる」事実が少しずつ見えてきました。

 「こちらから助けようとするよりも、相手が『助けて』と言ってきたら、快く助ける自分であろうとすれば、いいんじゃないでしょうか?」と私が言うと、「助けられるので、ここで声をかけるべきなんじゃないの?と思っている自分がいるんです」とクライアントさんはおっしゃいました。

 そして、「欧米人だから、やっぱり個人主義なのかな…。個人主義のパートナーの一緒にいるって、どういう感覚なんでしょう?」と続きました。

 その問いから、私は「尊重」という言葉が引き出されました。「相手が相手のしたいように環境を整えてあげる。見守ること」そんな風に私は考えています。

 映画『きみに読む物語』で、愛するパートナーが一番欲しいだろう「カンバス」を、彼が彼女にサプライズで用意をしたシーンがあったのですが、そのさりげないやさしさに、私も涙が溢れてしまいました。この映画で「愛」を学ぶことができます。



 旦那さんが、クライアントさんの部屋の書斎のリフォームで、家具の取りつけを積極的に手伝ってくれたようです。相手が仕事に打ち込めるように、自分が助けられることをしてくださったのでしょう。だんだんと相手は「尊重」という立ち位置から、行動をしていることが見えてきました。

 クライアントさんが、関西の方なので、私はこんな風に例えました。
 「『あめちゃん』で存在意義を出さないことですよ(笑)」クライアントさんは笑いながら、「関空行きの便は、やたらとあめをもらえたり、『おばちゃん見ておいてあげるから』と言われたり、本当に日本人は優しいなと。娘まであめを期待するようになっていますからね」とおっしゃいました。

 「邪魔せず見守る。お互いのパーソナルスペースを心地よくという考えのもと、できることをサポートしていけばいいんじゃないですか?」

 「そう考えたことがなかったです」

 「助けてほしい時には言える。日本人は言わないで我慢しがちですからね。尊重を考えると、サポートの仕方は変わるんじゃないですか?」

 「そうですね。でもときどき、私が急にいなくなっても、大丈夫なんだろうな…と考えると、自分のいる意味を感じられなくなることもあるんです」

 「役割のない人はひとりもいないですよ。家を守ること、働くパートナーであること、娘さんが育っていること。相手が快適に生きていけるように、十分に役割を果たしているじゃないですか。『女神』ですよ。自分のやっていることを認めることです」

 クライアントさんの中に、尊重のパートナーシップがだんだんと染み込んできたのか、セッションが終わるころには、安心感が戻ってこられたようでした。

 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

相手が相手らしくいられるために何ができますか?

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