自分に対しても人に対しても「できる」を見極めること。

 前回のセッションから4ヵ月ぶりでした。行動して変化したら次のセッション…と思っていらしたようです。それにウダウダと話すのも私に悪いなとも思ったそうです。自分で考えると堂々巡り…でもやっぱり変わりたいと思う自分がいると感じたということで、なにはともあれセッションで考える時間を持つことを選んだようでした。

 堂々巡り。面倒、大変と思って行動出来なくなる…。終わらなかった仕事は休みの日にしようと思うけど、休みの日はやりたくなくなる。焦っている感じ。ソワソワ。心配。何もしたくない、やりたくない。停滞。逃げ出したくなる…。頭でグルグルだけして、行動していないことで、またさらにネガティブサークルへ入るようでした。

「だけど、私が決めた道です…」クライアントさんがそうおっしゃいました。自分の決めた道にどう責任をとればいいのでしょうか。

 そうおっしゃるクライアントさんに「神様は平等にギフトを与えてくれているはず。幸せだなと思うことはなんですか?」と質問しました。ネガティブな部分に焦点を当てているように感じたからです。

「自然が身近にあること。すぐ近くに旦那がいること。仕事場が近いこと…」
 プラスの側面に焦点を当てたら、直近で悩んでいることがぽろっと出てきました。

「人との距離感に悩んでいるんです。以前は黙々と作業していればよかったり、苦手な人とは距離をとればよかったのですが、今までのやり方が通用しないですね。私が何でも出来なければと思うんです。私ははっきり断定できないし、自信がないし、信用されていないんじゃないか? と思います。こちらが何か言うと嫌な顔をされて、そこにまた傷ついて。もっと信頼できたら…。」と。

 やはりここでも、苦しい方向に焦点が当たっていました。「私が何でも出来なければ」と。そして、スタッフが少しでも怠けるのを見ていると、自分がイライラしてしまうようでした。

「自分がイライラすることやめたいですよね。そのためには多少のことは、気にしなくてもいいんですよ。それよりもパフォーマンスをどう最大限に発揮してもらうか? そこにフォーカスすることが大事ではないでしょうか?」
 私は、「どうしたらコミュニケーションがよくなるか?」の解決策よりも、クライアントさんが現在フォーカスしている部分に焦点を当てました。

 そのうえ、自分が全部できなければ、と抱え込みすぎです。私だったら、「自分がやりたくないことをいかにやらないか?」を考えた方が、最大限のチームワークを発揮できると考えます。
 できないことは人に振ること。そのために、日頃から人のいいところを観察するということ。どの人に頼めば、楽しくやって貰えそうか? 常に見極めることで、人にものを頼みやすくなるのだと思います。

 つまり、自分に対しても人に対しても、「できる」を見極めることが、人生を幸せに感じられる知恵なのです。

 ネットで「幸せ」について調べていたら、「ネガティブな考えをゴミ箱に捨てる」という記事を目にしました。私もたまに行う、手放したいことを紙に書いて燃やす儀式のことです。

 記事によると、実際にゴミ箱に捨てた人、捨てない人で、実験が行われたようです。捨てた人の方が、ネガティブな気持ちを物事の判断材料に使わなくなったという結果が出たようでした。

 そこでクライアントさんには、「自分がイライラすることを手放します」と燃やす儀式&アファメーション(ポジティブな宣言文)「私は寛大な心で相手に接しています」のダブルで実験してもらうことにしました。


 4ヵ月、モヤモヤと考え続けて停滞していたクライアントさんでしたが、「気にしなくていい」とフィードバックした私の言葉でだいぶ肩の力が抜けたようでした。

 また、自分に対しても相手に対しても「できていないこと」ばかりにフォーカスすることが、そもそも行動をしにくくしていた原因だったのかと思います。「できること、やりたいこと」にフォーカスすれば、「行動しろ、行動しろ!」と言わなくても、行動するのでしょう。

 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

自分がやりにくいと感じるとき、どこにフォーカスしているときですか?