1年くらい前に単発セッションを受けられて、その後いろいろと変化があり、今度は、90日コーチングでじっくり取り組んでいこうという思いが熱くなった状態ということで、ご依頼を頂きました。
内容は、30代に入ってから、ますます自分の中に答えがある気がしているので、余計なものをそぎ落として自分の中から、答えを見つけていきたいとおっしゃっていました。
自分ひとりだと、ぼんやりしたままで、自分の中から引き出そうと思って、自分の日記を書いていても、うまくまとめられない感じがするのだそうです。なので、セッションの中で、自分の話す言葉をみてもらいたい思いもあるようでした。
また、仕事の中では、もっと自分の意見として伝えることができたら、コミュニケーションが成立すると思っており、つい、イメージが先に来てしまうところがあるから、もうすこし伝わる言葉にできるようにもなりたいとおっしゃっていました。そのために、思考していることを出して、要らないことをそぎ落とすことをしていきたい。そして、自分の発する言葉に安心感が持てたら、文章で発信したいテーマがあるとのことでした。
「自分の発する言葉に安心感」は、私も追及してきたものなので、お話しを伺いながら、なんとなく、そこに辿りつくための全体像が、私の中にイメージとして広がっていきました。
内容は、30代に入ってから、ますます自分の中に答えがある気がしているので、余計なものをそぎ落として自分の中から、答えを見つけていきたいとおっしゃっていました。
自分ひとりだと、ぼんやりしたままで、自分の中から引き出そうと思って、自分の日記を書いていても、うまくまとめられない感じがするのだそうです。なので、セッションの中で、自分の話す言葉をみてもらいたい思いもあるようでした。
また、仕事の中では、もっと自分の意見として伝えることができたら、コミュニケーションが成立すると思っており、つい、イメージが先に来てしまうところがあるから、もうすこし伝わる言葉にできるようにもなりたいとおっしゃっていました。そのために、思考していることを出して、要らないことをそぎ落とすことをしていきたい。そして、自分の発する言葉に安心感が持てたら、文章で発信したいテーマがあるとのことでした。
「自分の発する言葉に安心感」は、私も追及してきたものなので、お話しを伺いながら、なんとなく、そこに辿りつくための全体像が、私の中にイメージとして広がっていきました。
現状は、話しながら本当のことを言えていない違和感。自分は、キツイ、シビアな見方をしているのかもしれない。人に言葉を発すると「えっ」と驚かれてしまうから。
そうなることが増えると、「えっ」となるのを恐れて壁を作り、言わなかったりすることが多くなってしまうのだそうです。
人に言葉を発すると、「えっ」と驚かれてしまうとき、または、こちらが「えっ」と思うとき、どんなことが起きているでしょうか?
おそらく、クライアントさんは、「事実」として伝えられず、どちらかというと「感情的」に伝わりやすくなっているのではないかと想像しました。そう尋ねてみると、「よく、感情的と言われます」とのことでした。でも、自分は事実のつもりのようです。
確かに、自分がそう感じているのですから、自分の感じた事実と言うことだと思います。だけれども、相手には、感情的だ! と思われる。
このようなコミュニケーションになってしまうのは、どういうことなのか、私の経験の中から、クライアントさんに例を出してみました。とはいっても、私も発見したのはつい2年くらい前のことなのですが!
私が、文章を添削するときに、注意をするポイントがあります。読む人がスムーズに読めるように、主観的に書いてある文章は、フラットにするように添削しているのです。
例えば、「友達は、2日間も案内をしてくれた」と書いてある文章を、「友達は、2日間案内をしてくれた」と添削します。
書いた人は、「2日間も!」と感じたのですから、感じたことの事実として書いていらっしゃいますが、読む方にとっては、「2日間しか」と思う方もいらっしゃるし、同様に「2日間も!」と思う方もいらっしゃると思うのです。
つまり、伝わりやすいのは、単に「2日間」と事実だけにすることなのです。ある小説の書き方の本を読んだときに、そのようなことが説明されていました。
相手が、「感情的だ」と感じるときは、「事実」と「感情」がごっちゃになって、相手に伝わっているときなのかもしれません。冷静に言ったとしても、言葉に含まれているので、相手はなんとなく、感じてしまうのでしょう。
今は、相手に「えっ」と思われないように、感じたことを伝えるのをセーブするようになっているので、「えっ」と思われる回数は、少なくなっているというだけで、自分の言葉に変化が現れたとか、そういった変化には至っていないのでしょう。
言う回数を減らして、恐怖を減らしていくよりも、自分と向き合って考えてみることが、自分の言葉に変化が訪れるということなのです。相手を見て、相手の言葉を感じて、「カチン」と来るところと言うのは、きっと自分の中の感情にひっかかっているところなのかもしれません。そこを見ていくのです。
つまり、自分の発する言葉を変化させるには、相手を鏡として、自分の感情に気づき、自分の感じている感情をそのまま味わったりして、手放していくことが、自分の中の答えを見つけることにつながるのではないかと思います。
オリエンで、これからの6回のセッションの全体像が見えてきました。
早速、「も」に主観が入っていることが見えたことで、クライアントさんは、びっくりしたとおっしゃっていました。見えていなかったことが見えると、これからもますます日常の中で、発見をしていくのではないかと思います。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
あまり言わないようにしていることは何ですか?
そうなることが増えると、「えっ」となるのを恐れて壁を作り、言わなかったりすることが多くなってしまうのだそうです。
人に言葉を発すると、「えっ」と驚かれてしまうとき、または、こちらが「えっ」と思うとき、どんなことが起きているでしょうか?
おそらく、クライアントさんは、「事実」として伝えられず、どちらかというと「感情的」に伝わりやすくなっているのではないかと想像しました。そう尋ねてみると、「よく、感情的と言われます」とのことでした。でも、自分は事実のつもりのようです。
確かに、自分がそう感じているのですから、自分の感じた事実と言うことだと思います。だけれども、相手には、感情的だ! と思われる。
このようなコミュニケーションになってしまうのは、どういうことなのか、私の経験の中から、クライアントさんに例を出してみました。とはいっても、私も発見したのはつい2年くらい前のことなのですが!
私が、文章を添削するときに、注意をするポイントがあります。読む人がスムーズに読めるように、主観的に書いてある文章は、フラットにするように添削しているのです。
例えば、「友達は、2日間も案内をしてくれた」と書いてある文章を、「友達は、2日間案内をしてくれた」と添削します。
書いた人は、「2日間も!」と感じたのですから、感じたことの事実として書いていらっしゃいますが、読む方にとっては、「2日間しか」と思う方もいらっしゃるし、同様に「2日間も!」と思う方もいらっしゃると思うのです。
つまり、伝わりやすいのは、単に「2日間」と事実だけにすることなのです。ある小説の書き方の本を読んだときに、そのようなことが説明されていました。
相手が、「感情的だ」と感じるときは、「事実」と「感情」がごっちゃになって、相手に伝わっているときなのかもしれません。冷静に言ったとしても、言葉に含まれているので、相手はなんとなく、感じてしまうのでしょう。
今は、相手に「えっ」と思われないように、感じたことを伝えるのをセーブするようになっているので、「えっ」と思われる回数は、少なくなっているというだけで、自分の言葉に変化が現れたとか、そういった変化には至っていないのでしょう。
言う回数を減らして、恐怖を減らしていくよりも、自分と向き合って考えてみることが、自分の言葉に変化が訪れるということなのです。相手を見て、相手の言葉を感じて、「カチン」と来るところと言うのは、きっと自分の中の感情にひっかかっているところなのかもしれません。そこを見ていくのです。
つまり、自分の発する言葉を変化させるには、相手を鏡として、自分の感情に気づき、自分の感じている感情をそのまま味わったりして、手放していくことが、自分の中の答えを見つけることにつながるのではないかと思います。
オリエンで、これからの6回のセッションの全体像が見えてきました。
早速、「も」に主観が入っていることが見えたことで、クライアントさんは、びっくりしたとおっしゃっていました。見えていなかったことが見えると、これからもますます日常の中で、発見をしていくのではないかと思います。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
あまり言わないようにしていることは何ですか?
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