書くネタがないから書かないのではなくて、書くことに決めるから、ネタがやってくる。

 クライアントさんの友人が、フリマをやっているのを見て、「人が溢れていて凄いな!そうやって、つながりを作れるなんていいなぁ」と思い、自分もそうなるためには、何をしていけばいいのかな? と考えてみたようです。

 ブログをたまに書いているけれど、人が勧めてくれたり、人のやっていることに乗っかるなら安心して書けるけれど、自分が発見して、誰もそのことを知らない場合は、「自分が先に伝えていいのかな?」と自分のものに自信が持てなくなるから、発信を妨げているんだと気付いたようでした。また、書こうとすると、「今日は、別に特別なことなんてなかったな~。何か変化はあるはずなんだけどな…なんだったっけ?う~ん? まだまだこんな状態では」となることも多いから、あまり書くネタもなさそうだと感じているそうです。


 「発信したら、自分のことを責めなくなるんですか?」と訊いてみたら、「なります」とおっしゃっていました。
「なるほど。書かないから始まらないわけですね」とフィードバックしたら、「そうでした」と笑っていました。

 最近、アウトプットすることの気持ち良さを感じたことがあったようでした。それは、クライアントさんが、旦那さんと缶ビールを飲みながら、話したいことをああだ、こうだと話しているときのようでした。最近の出来事について、 検証している! 出せていると感じて、とてもいい時間だったようです。

 発信したいけれど、進まない。でも、アウトプットすることで、なんだかよさそうな気がする。
ということは、発信がどうのこうのというよりも、アウトプットすることの気持ち良さからか、単に、自分の書きたい気持ちに答えてあげるのもいいですね。

 しかし、「日常の些細なことの中では、何も発見できない自分の洞察力」がそもそもの原因なのではないかと…。まずは、そこを磨いていかないと、書けないだろうな…と、また、後退していきました。

 だんだんと、ニワトリが先か、タマゴが先か? みたいになってきましたが…。

 実は、書くネタがないから書かないのではなくて、書くことに決めるから、ネタがやってくるのです。私が、ブログを書きだした頃、「なんでもノート」を持参するようになりました。ネタになりそうなことが見つかったら、書いていくのです。
 そうでもしないと、ネタに困ると思っていたから、そうするしかないと思っていました。そうしたら、これまで生きてきた人生よりも、なんだか、たくさんのことを発見している自分にそのうち気づいていきました。

 そんなふうに、脳みその仕組みを利用することもできます。「決める」ことで集まってくるという、システムを利用するのです。

 最近、「ソフィア・コッポラか~」と、映画監督なのに、よくファッション誌に出てくるなぁと思いながらSUPRを読んだ日の夜、TUTAYAへ行ったら、「ソフィア・コッポラ」を見つけてしまいました。別の題名を探していたのに。呼ばれた感がしたので、借りました。これから観る予定です。

 「何か、人に役に立つ情報はないかな? ブログに書くのだから、私には必要!」そんな視点で日々を過ごしていると、面白いことが、結構な確率で起るのです。

 思えば、アパレル時代、会社を辞める頃に、尊敬する取締役が、辞める私にわざわざ会うための時間を作ってくださいました。
 そのとき、「堀口さん、そのうち、ライフスタイルについて発信していったらいいよね~」と言われたことを覚えています。つまり、今は、約8年前の予言のとおりになってきてしまいました。

 「発信する」という前提があって、いろいろなメッセージも、人も引き寄せているような気がするのです。

 書かないと始まらないですし、行動しないと始まらないのです。
わけがわからないけれど、とにかく気になるから行ってみる。それがサインだと思います。

 クライアントさんが、「発信したい」思いがあったから、友人のフリマで「そうやって、つながりを作れるなんていいなぁ」と思いが湧いたということは、自分も未来にそうなるのです。そんなに気になるなら…。

 自分の願いを叶えるのは、自分の行動がまず第一歩です。あとは、自然と進むことでしょう。


 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

今日は、何か面白いネタはありますか?