人の悪口を言っている集団の中が苦手。

 これまで悩みの種となっていた、批判的な人が自分に寄ってこなくなっているが、これは、自分が避けているのか? それとも、自分のことを否定しなくなったから、引き寄せなくなったのか? 確認したいというところからセッションが始まりました。

 「女子の集団が苦手」とおっしゃる女性のクライアントさんが、意外と多くいらっしゃるのですが、今回のクライアントさんもそうおっしゃっていて、そこに巻き込まれたくないそうなのです。なぜなら、他の人の悪口を言っているシーンが少なくないからだそうです。クライアントさんは、ターゲットになっている人のことを悪く思っておらず、その人のいいところもあるのに、何でわからないんだろう? と、どちらかというと、正義感が芽生えるとか。

 もしそのとき、「私は、Bさんのことは、悪くないと思いますよ」と言ってしまったら、悪口を言った人を、今度は否定してしまうことにもなるから、言わないままでいる方を選ぶことが多いようでした。心ではBさんは、いいところあるのにな…と思いながら。

 でもやっぱり、Bさんは、悪くないのだから、それを言いたいところでもあるそうです。そのことを意見していいのか? それとも言わないままがいいのか? よく考えてしまうとのことでした。

 ここで、クライアントさんが、よりはっきりと見えるように事実を整理しました。


・Aさん(悪口を言う人)
・Bさん(悪口を言われている人)
・そして、自分(クライアントさん)がいます。


・「Aさんは、Bさんのことを悪い」と感じている事実。
・「自分は、Bさんのことをいい」と感じている事実。
 が、存在するだけで、Bさんが悪い人ということは、事実ではありません。
人がネガティブに感じることもあれば、ポジティブに感じることもあるでしょう。

 その事実を踏まえながら、Aさんに伝える言葉を考えるのです。

 正義感の強いクライアントさんは、「Bさんは、いいところあるよ」とAさんに言いたいそうです。
もし、そこで言うならば、「なるほど、Aさんは、そう感じたんですね。私は、Bさんは、こんなところがあると思っていますよ」と自分が感じている事実を伝えるような言い方だと、波風立ちにくいでしょう。
 所見を伝えることにより、Aさんが、Bさんに対する印象が変わることもあれば、変わらないこともあるし、それは、Aさん次第です。
「でも、Bさんは、こうですよ」と言うよりも、Aさんにとっても、「なるほどね」と言われたことで、クライアントさんの意見も聞いてみようかな、と思えるようになるのです。受け止めるようにしていくと、コミュニケーションは上手く生きやすく感じています。

 Aさん、Bさん、自分、と1人ずつ事実を説明してみると、「Aさんよりも、Bさんの方を見ていたから、それに対して、いいか悪いかをジャッジをして、Bさんが可哀そうとなっていたんですね」と、自分の視点が悪口を言われてかわいそうなBさんの方しか向いていなく、Aさんの方を向いていなかったことが、事実の発見を妨げていたことに、クリアに気づかれたようです。


 相手が見えていない視点を伝えることで、相手の視点が変化し、感じ方が変化することは、身近でもありました。

先日、ジムでシルバー世代の方がお話しされていました。

A「あら、毎日ジムにいらっしゃっているの?」
B「そうね。私、家にいてもやることないから、ここしか来るところないのよ」
A「あら、それでも、毎日病院に通うよりは、断然いいわよ」
B「あら、そうね。健康だから、毎日ここに来られている。それだけでありがたいわ!」
Aさんの視点をBさんに伝えたら、Bさんから笑い声が聞こえてきました。

そんな風に、「自分はこう見えた」という意見交換は、どんどんしてみたらいいのかもしれません。




 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

言いたいことがあるとき、どうしていますか?