昔はもっと、漂うように、自由奔放に生きていたのに、自分が親になって、色々な看板を背負ってしまって、本来の自分とは程遠いことになっていた、というクライアントさんがいらっしゃいました。
これまで2回のセッションを通して、「こうでなければいけない」と自分を縛っていたものが、どんどん解放されてきていらっしゃるそうです。
ちょうど夏休みということもあり、いつも子供が家にいることで、他人に構う時間が持てなかったことが、功を奏したようです。他人の顔を伺う暇もなく、自分、他人、と距離を置けるような捉え方ができるようになったようでした。
今までは、相手の顔色が悪いと、「自分のせい?」と思うことが多く、そうならないように気遣うことや、我慢をすることで、ストレスを溜めていらしたようですが、夏休みを通して、「変な話、人に嫌われてもいいや、その人がそう思うだけだし」と吹っ切れた模様です。
趣味のスポーツでは、監督に言われたことには傷ついたけれど、監督がそう考えていることなんだと、他人と自分を分けて考えることができ、「うまくいかなかったとしても、私が諦めなけい限り、続ければいいこと」とすんなりと思えた…などなど、怒涛の気づきをたくさん聴かせていただき、私も驚きました。
「他人の顔色=自分のせい」と、あれほど癒着していたものが、なぜ、そんなに簡単に離れたのでしょうか?
クライアントさんの話をそのまま聴き続けていたら、その理由へと辿りついていきました。
それは、自分の気持ちを聴くことができるようになったからです。今までは、「頼まれたのだから、我慢してでも引き受けよう」となっていたことがあったとすると、今回は、「それを頼まれるのは嫌だな。でも、今回は諦めよう。お互い様だし、引き受けることにしよう」と、自分の気持ちに耳を傾けるというプロセスが加わっていました。
クライアントさんいわく、「自分が嫌だな、と思っている気持ちを受け入れていい」と許可できたり、「仲間と仲良くなれなくても別にいいや」と許可できたり、「忘れ物をしても、人に借りればいいや」と思えたり、全体的に自分に許可を出せるようになったようです。
今までは、うまく出来ない自分、緊張している自分を認められなかったけれど、マイナス部分を認めることが出来るようになったということ。「そう感じるのもOK。それも自分」という風に、捉え方がニュートラルになっていらっしゃいました。
ネガティブな気持ちを感じ取ることを許可できると、「自分がどういうときが心地よいか?」が再認識されるようです。「漂っている感じ」とか、「意味のないことに取り組むことも好き」とか、「評価」も手放したことで「自分の存在」にただただ気づけて、幸せな人生を過ごしているな~ということまで感じられたようでした。
これまで2回のセッションを通して、「こうでなければいけない」と自分を縛っていたものが、どんどん解放されてきていらっしゃるそうです。
ちょうど夏休みということもあり、いつも子供が家にいることで、他人に構う時間が持てなかったことが、功を奏したようです。他人の顔を伺う暇もなく、自分、他人、と距離を置けるような捉え方ができるようになったようでした。
今までは、相手の顔色が悪いと、「自分のせい?」と思うことが多く、そうならないように気遣うことや、我慢をすることで、ストレスを溜めていらしたようですが、夏休みを通して、「変な話、人に嫌われてもいいや、その人がそう思うだけだし」と吹っ切れた模様です。
趣味のスポーツでは、監督に言われたことには傷ついたけれど、監督がそう考えていることなんだと、他人と自分を分けて考えることができ、「うまくいかなかったとしても、私が諦めなけい限り、続ければいいこと」とすんなりと思えた…などなど、怒涛の気づきをたくさん聴かせていただき、私も驚きました。
「他人の顔色=自分のせい」と、あれほど癒着していたものが、なぜ、そんなに簡単に離れたのでしょうか?
クライアントさんの話をそのまま聴き続けていたら、その理由へと辿りついていきました。
それは、自分の気持ちを聴くことができるようになったからです。今までは、「頼まれたのだから、我慢してでも引き受けよう」となっていたことがあったとすると、今回は、「それを頼まれるのは嫌だな。でも、今回は諦めよう。お互い様だし、引き受けることにしよう」と、自分の気持ちに耳を傾けるというプロセスが加わっていました。
クライアントさんいわく、「自分が嫌だな、と思っている気持ちを受け入れていい」と許可できたり、「仲間と仲良くなれなくても別にいいや」と許可できたり、「忘れ物をしても、人に借りればいいや」と思えたり、全体的に自分に許可を出せるようになったようです。
今までは、うまく出来ない自分、緊張している自分を認められなかったけれど、マイナス部分を認めることが出来るようになったということ。「そう感じるのもOK。それも自分」という風に、捉え方がニュートラルになっていらっしゃいました。
ネガティブな気持ちを感じ取ることを許可できると、「自分がどういうときが心地よいか?」が再認識されるようです。「漂っている感じ」とか、「意味のないことに取り組むことも好き」とか、「評価」も手放したことで「自分の存在」にただただ気づけて、幸せな人生を過ごしているな~ということまで感じられたようでした。
それから、息子さんの話にもなりました。夏休みの間に習い事の集中トレーニングがあって、辛すぎて、行く前は泣きわめいているそうです。しかし、本人は辞めたくはないと言うので、どうにか送りだしてあげているとか。
毎回それが続くので、なんて言葉をかけてあげればいいか? とても困ることがあるそうです。今は、褒めたり、真面目に通っていることを認めたりしているそうです。私は、そのほかの方法として、「どうしたら楽しくなると思う?」と質問をしてみることも、提案してみました。それはやったことがないとおっしゃっていました。
その後、クライアントさんからメールを頂きました。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
あの後、息子が意外な?解決方法で問題をクリアしてきました。
なんと、先生に直接「俺は倒立の練習がきつくて嫌です!
あんまり嫌で来る前にたくさん泣きました!」
と訴えたそうで・・・。
先生は「先生も小さい時、柔軟体操が痛くて辛くて良く泣いたよ」
「練習の時に、好きなアニメの事考えてごらん」と教えてくれたそうです。
実践したら「あっと言う間に練習終わったよ。
やっぱり体操は楽しいよ~♪」と帰ってきました。
先生に練習が嫌だと直訴したのは、びっくりしました!
練習は辛い、痛いが当たり前だと皆んな思っているのですが、
それをわざわざ口に出して「俺は今辛いんだ」と先生に直接言う事で、
自分の気持ちや練習に対する恐怖を乗り越えたのは・・驚きと同時に感心しました。
私が堀口さんに気持ちを吐露している時、
息子も先生に自分の気持ちを訴えていたんですね。
ありがとうございました。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
お母さんと、息子さんとのシンクロニシティーです。マイナスな気持ちを吐き出したら、楽しい気持ちがはいってきましたね。
自分の気持ちを素直に認めること。たったそれだけのプロセスなのですが、なぜ、大人になると出来なくなってしまうのでしょうか。ネガティブな感情を感じないようにすると、ポジティブな感情も味わいが薄くなると聞いたことがあります。逆を言えば、ネガティブな感情も感じることができれば、ポジティブな感情ももっと味わい深くなると言うことです。感情を殺さないで、いろいろ出てくるな~と思って、味わっていくことは、自然なことのように感じます。自分がそう感じることをForgiveすれば、 Forgetできるのです。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
今日は、どんな気持ちでしたか?
毎回それが続くので、なんて言葉をかけてあげればいいか? とても困ることがあるそうです。今は、褒めたり、真面目に通っていることを認めたりしているそうです。私は、そのほかの方法として、「どうしたら楽しくなると思う?」と質問をしてみることも、提案してみました。それはやったことがないとおっしゃっていました。
その後、クライアントさんからメールを頂きました。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
あの後、息子が意外な?解決方法で問題をクリアしてきました。
なんと、先生に直接「俺は倒立の練習がきつくて嫌です!
あんまり嫌で来る前にたくさん泣きました!」
と訴えたそうで・・・。
先生は「先生も小さい時、柔軟体操が痛くて辛くて良く泣いたよ」
「練習の時に、好きなアニメの事考えてごらん」と教えてくれたそうです。
実践したら「あっと言う間に練習終わったよ。
やっぱり体操は楽しいよ~♪」と帰ってきました。
先生に練習が嫌だと直訴したのは、びっくりしました!
練習は辛い、痛いが当たり前だと皆んな思っているのですが、
それをわざわざ口に出して「俺は今辛いんだ」と先生に直接言う事で、
自分の気持ちや練習に対する恐怖を乗り越えたのは・・驚きと同時に感心しました。
私が堀口さんに気持ちを吐露している時、
息子も先生に自分の気持ちを訴えていたんですね。
ありがとうございました。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
お母さんと、息子さんとのシンクロニシティーです。マイナスな気持ちを吐き出したら、楽しい気持ちがはいってきましたね。
自分の気持ちを素直に認めること。たったそれだけのプロセスなのですが、なぜ、大人になると出来なくなってしまうのでしょうか。ネガティブな感情を感じないようにすると、ポジティブな感情も味わいが薄くなると聞いたことがあります。逆を言えば、ネガティブな感情も感じることができれば、ポジティブな感情ももっと味わい深くなると言うことです。感情を殺さないで、いろいろ出てくるな~と思って、味わっていくことは、自然なことのように感じます。自分がそう感じることをForgiveすれば、 Forgetできるのです。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
今日は、どんな気持ちでしたか?
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