「頑張っているね」と言われるのが嫌なことが、行動の抵抗感になっていた。

 前回のセッションで、ある課題が5年進んでいないので、進ませるにはどうしたらいいのか? を考察したクライアントさんのブレーキがかかっていた理由の一つに、「やっても人のために、ならないものではないか?」という疑念があったのです。「やる価値のないものをどうして取り組まなくちゃいけないの?」と。
 対話を進めながら、1回目のセッションでは、課題をやる意味を見出すことができました。
 セッションでフォーカスが変わったことで、その後、いいものに創り上げてきた人の話を数人聴けたようです。フォーカスが変わると、周りに集まってくる情報も変わるものです。5年、進ませられなかったクライアントさんでしたが、その課題について考えるだけでも、日々の生活の中で意識できるようになったようでした。

 しかし、クライアントさんのなかで、ブレーキとなっているものは、まだまだある感触がするとのことで、2回目のセッションでは、「進ませたくないという気持ち」である、拒否感、恐怖心について、さらに考えてみることになりました。

 仕事では、100人の前でも、500人の前でも、最初は緊張していても、いざ場に出ると話せるくらいまで精神力も成長してきたようです。
 しかし、その課題に関しては、他人の批判的な意見も聞き入れる必要があるとのことで、自分が否定されたり、みんなの前で叱られたりすることに恐怖を感じているようでした。
 私でしたら、「自分が出来ないことを人の前にさらすことは、人への勇気になる」と思うところがあるので、むしろ、人に貢献している感があります。(笑)クライアントさんは、プライドが高いのでしょうか? 

 段々と話していくうちに、「失敗を受け止める力が欲しい」ということが浮上してきました。今の仕事は、どちらかというと辞める勇気がなくて、続けていくことになって、出来るようになったようです。
 これからは、その都度、失敗も批判も謙虚に受け止めるような、能動的な面を自分に標準装備できたら、もっと展開が早くなりそうだ、ということが見えてきました。
 「変えられないものを 受け入れる力 そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ」と昔、宇多田ヒカルの歌詞にありましたが、その都度向き合えていけたら、きっと人は精神的にも成長出来そうです。

 一体、何がブレーキなのでしょうか?

 クライアントさんいわく、「全てにおいて言えるのが、嫌なら距離を置いておこうとすること。忘れて、ま、いいか。見て見ぬふりするところがある」とのことでした。
 日常生活では、洗濯をしている途中で疲れたら、手を止めて休むなど、ちょっとの躓きで、自分をゆるくすることに、最近慣れてしまったようなのです。それは、子供時代に「頑張っているね」とよく言われたことに起因するとか。
 「頑張っているね」と言われることが好きではなかったようでした。「他人の評価を得るために頑張りすぎているように見えて、イタイ感じ=頑張っている人」というイメージを今でも持っていることが見えてきたのです。

 大人になってから、そんなに頑張ると痛々しいから、あまり頑張らないようにしようと、自分がさぼりたければ、さぼる自分を甘えさせてあげよう…と思うようになったようでした。その習慣が、さぼりがちな自分のセルフイメージを次第に増幅させていたのです。
 人に頼まれたことは、しっかりとやるけれど、自分とのコミュニケーションでは、自分との約束を守れないことが、自信のなさへもつながっていったのかもしれません。

 「頑張ることはイタイのか?」について考えてみました。
 例えば、仕事の前に、毎朝ジョギングをする人がいたら、頑張りすぎているように見える人もいるかもしれません。私は10年間、毎日ブログを書いています。人によっては、頑張っているように見えるでしょうが、自分としては、ただ続けているだけのことです。

 クライアントさんが、私に質問をされました。「書くのが辛い日はありませんか?」と。 
 私は答えました。「今日は辛いから書かないとは思ったことはないけれど、ここ3年くらい、書くのに3時間くらい掛っていたので、時間がかかるなぁとは、ずっと思っていました。しかし、そのうち楽になるだろうからと思って、『今はこれだけ時間がかかるんだな』と受け容れて、とりあえず、毎日続けていました。今年になってから、急に楽に書けるようになって、1時間~2時間で完成します」

 もうひとつ質問が来ました。「ジムで40分ウォーキングするって、長いと思いませんか?」と。「ヘッドホンで音楽を聴きながら、口ずさんでいると、あっという間ですよ。長いと思いませんよ」と私は答えました。どうやら、クライアントさんの時間感覚と私の時間感覚が少し違うようです。

 でも私も、「40分も歩くの?!」と、以前は長いと感じていたのです。しかしいつからか、人から見たら苦行的なことも、淡々とこなせるようになったのです。嫌だなとか、面倒くさいなとか、感情がつかないで、ただやっているようになったら、とても楽に続くようになりました。

 淡々になる前は、「やめようかな、どうしようかな」の葛藤もでてくるのは、よくあることでした。しかし、その都度自分をコントロールして、打ち勝ってきたのです。できたことを行動に刻んでゆけば、自分のセルフイメージが自然と変わってくのも時間の問題でした。そのうち淡々となっていったのです。

 自分をコントロールするというのは、ニュートラルに自分を見てあげることです。どんなに時間がかかっても、「できた」が積み重なればいいのです。そうすると、潜在意識も「できてるんだ」と思えてくるから不思議です。
 そうなると、「ただやろう」と言うだけです。やった分だけ、自分の身につくことが明らかだからです。行動が全てを作っていくのです。

 最初は葛藤もあるけれど、だんだんと慣れてゆくのだと思います。そこを乗り越えられた人と、そうでない人の差はやはり出てくるのではないでしょうか。

 色々とモヤモヤについて話していくうちに、クライアントさんの中でも、頑張ることはイタイことではなくて、淡々と出来る境地にいくまで、ある意味頑張ることも必要なことであると書き換えられてきて、「頑張ってはいけない」という思い込みが外れてきたようでした。

 「自分が気持ちいい!」と思うところまで、柔軟体操を頑張ってみる。次第に体もしなやかになっていくと思います。

 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

自分のことをどう観察していますか?