「学習」という行動を持続するために必要なこと。

 ある先生をされている方のセッションでした。最近、受験生の指導をとおして、自分の指導において足りないところを発見してしまい、ショックを受けたそうです。それから、自分の先生からアドバイスをもらうことで、気づけたことがたくさんあったそうでした。ご自身でも、本を買ったり、通信講座を受講することを決めたりして、これからは、伝える力をアップさせるために、取り組んでいくことにしたとおっしゃっていました。

 そこでセッションでは、今回は自分の不足に気づいて、学ぶという行動に移せたけれど、以前はショックを受けたら、自分を責めてしまって、行動につながらないこともあったので、「何かのせいにするのをやめる。動いて、良くする方法を考え、改善、改良するために動く」ということについて、改めて考えてみたいということでした。

 ショックを受けたままで行動にはつなげず、「私はそういうの苦手だから」で終わって、取り組まないというかたも少なくない気がします。
 「私は、細かいことが苦手だから」「私は、人前で発表するのが苦手だから」「私は、方向音痴だから」と、自分自身のことを決めつけているセリフも割りと耳にします。

 例えば、人前で「プレゼンテーション」の機会を1度も体験したことがないかたもいらっしゃると思います。私も30才のときにはじめて、「60分間人前で話す」という機会を与えられたときに、「プレゼンテーションとはなにか?」と考えたのでした。その機会を得て初めて、学びという行動につながり、自分のできることが増えていくものでしょう。

 先月、ロンドン短期留学をしました。レベルアップテストがあり、「ブランクを埋める」という学習には慣れている日本人の私は、自分が想定していたよりも上のクラスになってしまいました。
 実際に授業になると、できないことだらけで、ショックを受けました。でも、クライアントさんと同じで、「できないところがわかったこと」が、留学の収穫となったのです。


 思えば、小学校で作文の書き方を教えてもらっていない気がしています。うまい人とそうでない人と差がついたものです。
 その話をクライアントさんにすると、「小4のとき、作文の書き方を教えてくれる先生がいて、みんなそこそこできるようになった記憶がある!」とおっしゃっていました。「そして、それから をなるべく使わないで、書いてごらん」と先生が言ったことで、それに代わる言葉を考える力を身につけられたとおっしゃっていました。
 作文を書く手順やフレームを知っただけで、うまくなれるということなのです。
 つまり、「スキル」というものは、その人のもともとの能力とは違った、むしろ、もともとの能力をさらに引き出すために、存在するものなのでしょう。

 例えば、「傾聴スキル」。これも学校では教わりません。しかし私は、30歳のころから学び、自分のコミュニケーション力に新たなバリエーションが加わったことで、人間関係が豊かになっていったのです。傾聴のスキルをつけたことで、「理解する力」も開発されていきました。自分の知らなかった可能性が広がったのです。


 以前は、「自分はなんてできないんだろう。自分がダメなんだ。教えてくれるまで待っている」というように、そこで止まっていたクライアントさんが、コーチングセッションを重ねることで、自分を検証することが身につき、今回は人に相談をしたり、講座を受けたり、ショックを行動へつなげていたということが確認できました。
 これからも、知らないことを知る機会があったら、学ぶという行動へつなげていけばいいと、行動のステップが明確になっていきました。そして、スキルがないことについて、自分を責める必要がないことも気づきました。


 先日、姪が「読んで」とむかし話の本を持ってきました。子供向けの言葉で書いてあるのかな? と思いながら読み進めてみると、私も知らない昔話ならではの日本語がそこらじゅうにあり、数行で読むのを一時躊躇してしまいました。なぜ、大人でもめったに使わない言葉があるのか? と一瞬疑問を持ちました。

 「難しい日本語が使われているけどいいの?」と私が姪に尋ねると、姪は「いいから読んで」と言ったのです。そして、「その話って・・・・でしょ」と、ものすごい簡単ではありましたが、あらすじを言いました。登場人物のしたことは、どうやら掴んでいるようでした。
 同時に、ロンドン短期留学のリーディングで苦戦して、数行で「読めないよ…」で困っていた自分を思い出しました。

 子供にとっては、大人が話している言葉の意味を知らないで、そこに佇んでいることは当たり前で、そこに「困る」という感覚はないのでしょう。大人になると、「分からないのがいや」なんだなと、気づいてしまいました。

 18年ぶりの英語学習において、「何でできないのかな?」という問いばかり自分にしていましたが、留学から帰ってきたら、「わからないのは当たり前だった!」と気づき、脳みそへの入り方が、全然変わったことを、今、新鮮に体感しているところです。

 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

できないことがわかったら、どんな行動につなげていますか?