臨機応変になりたいと悩んでいた人の思いこみとは?

 「いいのよ、そういう場合はここまでやっとけば」と職場の人に言われるたびに、臨機応変になりたいなぁといつも思うけど、その臨機応変ってどうすればなれるのか?悩んでいらっしゃいました。

 臨機応変に対応できないので、そそうがないように、とりあえずマニュアル通りにやっておけば間違いないと、しっかりとマニュアルを覚えることに時間をかけて、慎重に1つ1つ間違いないように対応することを心がけているそうです。どこで手を抜くかなども、さっぱり想像もつかないそうです。

 きちんと覚えていないと不安になり、それなのに分からなくなった時は、人に聞く臨機応変さも発揮できず、あたふたしているところに、周りの人が助けてくれて、ことなきをえることもあるとか。

私が、「分からなくなったら、その都度聞くことで対応していけばいいんですけどね」と言ったら、その都度聞いていいのか、という不安も出てきました。

一体何が思い込みなのでしょう?

 私が、アパレルに転職したばかりのころ、分からないことだらけなのに、いきなり店頭に出ていました。だから、私が分からないことは、私がやるよりもベテランにやってもらった方が、お客様の迷惑にならないから、何かあったらヘルプしてもらおうという態勢でいました。例えばパンツのすそ上げなどは、他の販売員を呼んでやってもらうようにしていました。

 つまり、自分で何でもやるよりも、正確さを優先させることを考えて、ベテランにお願いしていたわけです。お客様のためを思うと、時間が多少かかったとしても、正確なほうがいいですから。


 そんな話をしたら、「聞いていいもの」と、だんだんと聞く感覚が分かられてきたようでした。

 さらに、「臨機応変にうまくやればいいのに、なぜできないのか?」の理由を深掘りして行きました。臨機応変には、「読み」で、色々とその場の状況を考えることもあるかもしれません。例えば、「今は、ここまでとりあえず書いておけばいい」とか。

 そのことについてクライアントさんは、「子供のとき、自分がこうと思っていたことが、わりとみんなと違うことが多くて、自分の感覚を信用できなくなった」とおっしゃっていました。「こうじゃない?」と友達に言うと、びっくりされることの方が多いから、恥ずかしくなってしまったのかもしれないと。そして、私は普通じゃないんだと思うようになり、恥ずかしいことは嫌だから、無難な道を選んだり、マニュアル通りにこなして行くことに慎重になったりというルーツが見つかって行きました。

 今、大人になって考えてみると、「みんな違うのは当たり前」とは、思えるようになったとか。ですが、長年持ち続けた「私は違うから恥ずかしい」ということで、聞くことさえも未だに習慣になっていなかったので、これからは、1つ1つ聞いて行くようにすればいいと、対応策がだんだん見えてきました。


 過去に私も「読み」をすることで、相手のことを思ったつもりでも、「読み」が外れて大失敗になったことが何度かあったので、「読まない」ようになりました。プレゼント選びも、自分のセンスで選びません。たいてい外すらしいのです。(笑) 
お仕事をするときも、相手に要望を聞いてから、要望に対して、自分のセンスを生かして作り上げます。その要望に添えないときは、お仕事を断るほうを選びます。

「え?堀口さんは、センスの人なのにプレゼントは、あげたいものをあげないんですか?!」とびっくりされましたが、「見積もりません」(笑)
逆に、相手に聞いた方が要領いいのです。読みなんて、読みですから。

「見積もっていることは外れることの方が多いので、聞くほうがいい」という考えが出てきたときに、クライアントさんが、あることを思い出したようです。

 「自分で考えてやらなくちゃいけないって、よく父が言っていたんですよ。私、相談するのが苦手なんです。自分で何とかしなくちゃと思いすぎていました」と本当のルーツに気付かれて、セッションは爆笑となりました。先日のコミコレの「家訓ワーク」になりましたね。

 「聞いた方がいい」とセッションの前半から出ていましたけど、なかなかそこにOKを出せなかったのは、知らず知らずの間に身に染みたお父さんの言葉が、潜在意識にこびりついていたのかもしれませんね。 

 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

相手の要望を聞いていますか?