今日は自分がセッションを受ける日でした。
テーマは『ひとみずむ』のことで、どう、つながり感を持ってまとめていくかについてです。いつもセッションでは、自分の中で具体的なアイデアがはっきりしていないことをテーマにします。
播磨さんには、事前に私の書いたものと、あるクライアントさんの作品を読んでもらいました。「つながり感のあるひとみずむ」の提案をしてきた播磨さんが読んでみて「十分つながり感が出てたよ」との感想でした。「つながり」はちゃんと育っているようです。
それから、一部の作品は「題名」ができているので、「題名」と「あらすじ」をそれぞれ聞いてもらいました。「あらすじ」をサクサク言えないものがいくつかあって、話しながら気づいたのですが、「テーマ」にしたいと思っていることが、明確に打ち出せていないことに気付いたのです。おぼろげながらわかってはいるけど、作品の中で、その部分は深まっていないのを感じました。「あらすじ」を言ってみることで、その作品の中の「転」の部分をどうしたいかが、より明確になりました。
そして、1話ずつの「結」の部分をどうするかになりました。
播磨さん的には、前回の『別居夫婦』のようにこれからどうなるか分からない、ハッピーエンドでない状態だと、勝手にその後を妄想したり、勝手に願ったりと、連続的に考えることが生まれるよね、言っていました。
確かに、「そのあと、上手くいくといいな…」とか、小説や映画を観終わったあと、勝手に願っていることはありますね。そういう、連続的な感覚を生み出せているかと言うと、ちょっとまだ弱いところだと思いました。
全体の最終的なまとめはどうするのか?の話まで進んでいきました。
これこそ、まったく私の中でイメージが湧かなかったのです。
播磨さんが、お薦めしてくれた『死神の精度』の終わり方の話になりました。
いつも雨なのに最後は晴れになったところが、ものすごく播磨さん的に響いたそうです。
確かに、その覆し方は、美しいものでした。
「ま、あれは小説だからね」なんて話しながらも、そんな風な結末もありだなぁ…と自分が過去に読んだ小説や映画のラストシーンがいろいろと頭の中をぐるぐるし始めました。
でも、自分がどうしたいのか全然イメージがわきません。それとなく、思っていることを話してみたりしても、少しインパクトに欠けるような感じがしていました。
すると、「読んでもらった人からどんな感想が欲しい?」といい質問がきました。
いろいろ答えていくうちに、またイメージが見えました。
そして、今回のテーマにしている「つながり」の話へと進みました。
播磨さんが言いました。「つながっているなーと感じる時は、皆一緒の時だよね。僕の場合は温泉に入っている時に、一緒だなぁって、子供のころ思ったことがあってね・・・・」。播磨さんの小話を聞きながら、温泉の映像を頭の中にイメージしていたら、脳派がリラックスしちゃったのかもしれません。勝手に私の中であるイメージが広がってきました。
温泉とは全く関係ないのですが、笑
浮かんできたアイデアを播磨さんに話すと「それはすごくつながるよね」と感想をくれました。私も、どっからそんなアイデアがやってきたのか?! 45分前は想像もしていなかったことが見えてきて、コーチングの時間は、いつもこれだから面白いんですよね。話を積み重ねながら、だんだんと深まっていくのは達成感があります。
播磨さんが、「自己完結することはないよね」と言っていました。確かにそうです。去年も全力で作っていた『ひとみずむ』でしたが、今年は今年でもっと深めることが見つかってさらに、歩みが進んでいる感じがします。常に、できるところまで掘っておいて、また次になったらそこから掘ることになって…どんどん続いて行くものなのでしょうね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
完結しないと考えると、いまはどんな状態なのでしょうか?
テーマは『ひとみずむ』のことで、どう、つながり感を持ってまとめていくかについてです。いつもセッションでは、自分の中で具体的なアイデアがはっきりしていないことをテーマにします。
播磨さんには、事前に私の書いたものと、あるクライアントさんの作品を読んでもらいました。「つながり感のあるひとみずむ」の提案をしてきた播磨さんが読んでみて「十分つながり感が出てたよ」との感想でした。「つながり」はちゃんと育っているようです。
それから、一部の作品は「題名」ができているので、「題名」と「あらすじ」をそれぞれ聞いてもらいました。「あらすじ」をサクサク言えないものがいくつかあって、話しながら気づいたのですが、「テーマ」にしたいと思っていることが、明確に打ち出せていないことに気付いたのです。おぼろげながらわかってはいるけど、作品の中で、その部分は深まっていないのを感じました。「あらすじ」を言ってみることで、その作品の中の「転」の部分をどうしたいかが、より明確になりました。
そして、1話ずつの「結」の部分をどうするかになりました。
播磨さん的には、前回の『別居夫婦』のようにこれからどうなるか分からない、ハッピーエンドでない状態だと、勝手にその後を妄想したり、勝手に願ったりと、連続的に考えることが生まれるよね、言っていました。
確かに、「そのあと、上手くいくといいな…」とか、小説や映画を観終わったあと、勝手に願っていることはありますね。そういう、連続的な感覚を生み出せているかと言うと、ちょっとまだ弱いところだと思いました。
全体の最終的なまとめはどうするのか?の話まで進んでいきました。
これこそ、まったく私の中でイメージが湧かなかったのです。
播磨さんが、お薦めしてくれた『死神の精度』の終わり方の話になりました。
いつも雨なのに最後は晴れになったところが、ものすごく播磨さん的に響いたそうです。
確かに、その覆し方は、美しいものでした。
「ま、あれは小説だからね」なんて話しながらも、そんな風な結末もありだなぁ…と自分が過去に読んだ小説や映画のラストシーンがいろいろと頭の中をぐるぐるし始めました。
でも、自分がどうしたいのか全然イメージがわきません。それとなく、思っていることを話してみたりしても、少しインパクトに欠けるような感じがしていました。
すると、「読んでもらった人からどんな感想が欲しい?」といい質問がきました。
いろいろ答えていくうちに、またイメージが見えました。
そして、今回のテーマにしている「つながり」の話へと進みました。
播磨さんが言いました。「つながっているなーと感じる時は、皆一緒の時だよね。僕の場合は温泉に入っている時に、一緒だなぁって、子供のころ思ったことがあってね・・・・」。播磨さんの小話を聞きながら、温泉の映像を頭の中にイメージしていたら、脳派がリラックスしちゃったのかもしれません。勝手に私の中であるイメージが広がってきました。
温泉とは全く関係ないのですが、笑
浮かんできたアイデアを播磨さんに話すと「それはすごくつながるよね」と感想をくれました。私も、どっからそんなアイデアがやってきたのか?! 45分前は想像もしていなかったことが見えてきて、コーチングの時間は、いつもこれだから面白いんですよね。話を積み重ねながら、だんだんと深まっていくのは達成感があります。
播磨さんが、「自己完結することはないよね」と言っていました。確かにそうです。去年も全力で作っていた『ひとみずむ』でしたが、今年は今年でもっと深めることが見つかってさらに、歩みが進んでいる感じがします。常に、できるところまで掘っておいて、また次になったらそこから掘ることになって…どんどん続いて行くものなのでしょうね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
完結しないと考えると、いまはどんな状態なのでしょうか?
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