先日のブログにも書きましたが、「ちょっと聴いてください!」というようなところから、本質に気付くということが、よくあります。
今回のクライアントさんは、セッション準備用紙に「テーマを決めずに話したい」と書いてあったので、ざっくばらんに話していきました。
しかし、セッション準備用紙の「最近の様子」の欄に、長めに書いてあることがありましたので、そのことについて、話題を振ってみました。
ブログの読者から質問が来て、(ちなみに語学のブログなので外国人からの質問です)「日本の教育について教えてほしい」と書いてあったので、あまりにもざっくりした質問と感じて「具体的に何ですか?」と返したら、今度は箇条書きで、返事が来たそうです。そしてまた返事を出し、やり取りが続いたようです。
しかし、次のメールには、挨拶とかありがとうの言葉もなかったので、だんだん不躾な感じにイライラしてきたようなのです。イライラした感情のままで、次の返事を出すことはやめて、ちょっと相手の様子を待ってみようと待っていたところ、「ありがとう」というメールがついにやってきたと言っていました。
そのことに関しての学びとしては、「待つこと」でいい方向へ進むことを実感できたと言っていました。きっと、返事がすぐに来なかったから、相手が自分の出したメールを見直して、「あっ」と思ったのかもしれないのでは、と。
確かに、自分が出したメールを後から読み直してみたら、足りないところが見つかって、フォロー的なメールを送ることって、あったりしますよね。あ、相手への配慮が足りなかったかなとか。
今回の出来事で、待つことを実感でき、その事象を受け止め、吹き飛ばされなかった自分を見つけることができたのは、1歩前進を感じたようでした。
セッションでは、もう少し深めてみることにしました。
「イライラ」した自分についてです。
相手から「ありがとう」と言ってほしいということでもなかったようなのです。ただ、こういう時は、「ありがとう」という気遣いを普通するのではないかというところに、そうしていなかったことに対して、イライラとしたのかと。
質問だけの気楽な態度と感じたメールでも、しっかりとお返事をしたクライアントさんは、本当に人の助けになろうとしている様子がうかがえます。
私も、たまに質問メールを頂きますが、名前すら書いていないという方がいらっしゃったときには、ちょっと驚きました。挨拶もなし、私への「堀口さんへ」もなし。携帯のようで、件名もありませんでした。
内容は、「コミュニケーションがうまくいかないこと」だったので、私は、その内容に答えるというよりも、既に、「名前」、「件名」などのないメールを出してしまうところに、相手への敬意を持つことに不足しているのかもしれないと、そこをピックアップしてお返事を出したことがあります。すぐに相手の方は、名前と謝罪のお返事をくださいました。
私も、どうお返事を出すか? 非常に悩みましたが、質問をくださった方の、コミュニケーションの形が、メールそのものに現れていたので、質問の答えになると思って出したのです。そして、「自分への見直しとしてもメールさせていただきます」と書きました。私も、改めて大切なことに気付けたからです。
さて、この場合ですが、「礼儀」とか、そう言ったところでもなさそうでした。
まずは、相手のことについて想像してみました。
やり取りをもう一度見てみると、最初、相手の方の質問が大きかったことに対して、「具体的に教えてください」とお返事を出したから、相手の方は、細かく「箇条書き」をしてきたのだと思います。まだ、その時点では、相手が知りたい「答え」が書いていなかったので、「ありがとう」という場面ではなさそうですね。待ったら「ありがとう」とお返事がきたというのですから、相手は「ありがとう」と思えた時に「ありがとう」とメールをしたのかもしれません。
ここで、最初のやり取りで、相手の質問が大きいなと感じた時に、「具体的にお願いします」と訊くのは、「自分が知りたいことを聞いた質問」です。
「どうして、そのことを知りたいのですか?」と「相手の思い」を訊くこともできます。「相手の思いを知った上でのお返事」となれば、もっとピンポイントなお返事をかけたのかもしれません。たかが、質問かもしれませんが、「相手の思い」を聞く質問は、大事なのです。
そのクライアントさんは、自分の知りたいことだけ聞いた、表面的だった自分にイライラしたのかもしれないと、話しながら感じたようです。
相手にイライラしている時は、実は、自分の中にある自分のイライラに反応しているともいえます。「相手は鏡」なので、私は、そうやって自分の中にある「感情」をみるようにしています。「相手にイライラした」を「自分にイライラしている」と言い換えて、検証してみるのです。自分がうまくできなかったことや未熟なことに気付きを与えてくれることは多いです。
「相手の思いを聴く」。
自分が質問に答えることだけに焦点があたっていましたが、今度は、相手がどんな思いで質問しているのか? について聴けるようになると、自分自身の器も大きくなる気がします。
そこを試される機会だったのかもしれませんね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
相手の思い聴いていますか?
今回のクライアントさんは、セッション準備用紙に「テーマを決めずに話したい」と書いてあったので、ざっくばらんに話していきました。
しかし、セッション準備用紙の「最近の様子」の欄に、長めに書いてあることがありましたので、そのことについて、話題を振ってみました。
ブログの読者から質問が来て、(ちなみに語学のブログなので外国人からの質問です)「日本の教育について教えてほしい」と書いてあったので、あまりにもざっくりした質問と感じて「具体的に何ですか?」と返したら、今度は箇条書きで、返事が来たそうです。そしてまた返事を出し、やり取りが続いたようです。
しかし、次のメールには、挨拶とかありがとうの言葉もなかったので、だんだん不躾な感じにイライラしてきたようなのです。イライラした感情のままで、次の返事を出すことはやめて、ちょっと相手の様子を待ってみようと待っていたところ、「ありがとう」というメールがついにやってきたと言っていました。
そのことに関しての学びとしては、「待つこと」でいい方向へ進むことを実感できたと言っていました。きっと、返事がすぐに来なかったから、相手が自分の出したメールを見直して、「あっ」と思ったのかもしれないのでは、と。
確かに、自分が出したメールを後から読み直してみたら、足りないところが見つかって、フォロー的なメールを送ることって、あったりしますよね。あ、相手への配慮が足りなかったかなとか。
今回の出来事で、待つことを実感でき、その事象を受け止め、吹き飛ばされなかった自分を見つけることができたのは、1歩前進を感じたようでした。
セッションでは、もう少し深めてみることにしました。
「イライラ」した自分についてです。
相手から「ありがとう」と言ってほしいということでもなかったようなのです。ただ、こういう時は、「ありがとう」という気遣いを普通するのではないかというところに、そうしていなかったことに対して、イライラとしたのかと。
質問だけの気楽な態度と感じたメールでも、しっかりとお返事をしたクライアントさんは、本当に人の助けになろうとしている様子がうかがえます。
私も、たまに質問メールを頂きますが、名前すら書いていないという方がいらっしゃったときには、ちょっと驚きました。挨拶もなし、私への「堀口さんへ」もなし。携帯のようで、件名もありませんでした。
内容は、「コミュニケーションがうまくいかないこと」だったので、私は、その内容に答えるというよりも、既に、「名前」、「件名」などのないメールを出してしまうところに、相手への敬意を持つことに不足しているのかもしれないと、そこをピックアップしてお返事を出したことがあります。すぐに相手の方は、名前と謝罪のお返事をくださいました。
私も、どうお返事を出すか? 非常に悩みましたが、質問をくださった方の、コミュニケーションの形が、メールそのものに現れていたので、質問の答えになると思って出したのです。そして、「自分への見直しとしてもメールさせていただきます」と書きました。私も、改めて大切なことに気付けたからです。
さて、この場合ですが、「礼儀」とか、そう言ったところでもなさそうでした。
まずは、相手のことについて想像してみました。
やり取りをもう一度見てみると、最初、相手の方の質問が大きかったことに対して、「具体的に教えてください」とお返事を出したから、相手の方は、細かく「箇条書き」をしてきたのだと思います。まだ、その時点では、相手が知りたい「答え」が書いていなかったので、「ありがとう」という場面ではなさそうですね。待ったら「ありがとう」とお返事がきたというのですから、相手は「ありがとう」と思えた時に「ありがとう」とメールをしたのかもしれません。
ここで、最初のやり取りで、相手の質問が大きいなと感じた時に、「具体的にお願いします」と訊くのは、「自分が知りたいことを聞いた質問」です。
「どうして、そのことを知りたいのですか?」と「相手の思い」を訊くこともできます。「相手の思いを知った上でのお返事」となれば、もっとピンポイントなお返事をかけたのかもしれません。たかが、質問かもしれませんが、「相手の思い」を聞く質問は、大事なのです。
そのクライアントさんは、自分の知りたいことだけ聞いた、表面的だった自分にイライラしたのかもしれないと、話しながら感じたようです。
相手にイライラしている時は、実は、自分の中にある自分のイライラに反応しているともいえます。「相手は鏡」なので、私は、そうやって自分の中にある「感情」をみるようにしています。「相手にイライラした」を「自分にイライラしている」と言い換えて、検証してみるのです。自分がうまくできなかったことや未熟なことに気付きを与えてくれることは多いです。
「相手の思いを聴く」。
自分が質問に答えることだけに焦点があたっていましたが、今度は、相手がどんな思いで質問しているのか? について聴けるようになると、自分自身の器も大きくなる気がします。
そこを試される機会だったのかもしれませんね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
相手の思い聴いていますか?
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