先日まで出席していた講座のまとめで、「私の死生観」について書く作業がありました。
この講座での講義テーマでは、今まで考えたことのなかった用語が沢山あり、果たして講座についていけるのかどうかと、最初は心配でしたが、「人間論」、「死生論」、「メンタルケア論」、「スピリチュアルケア」と講義を聴いてみたら、自然と内容が自分に入ってきました。つまり、生きて行く中での普遍のテーマなのだと思います。
レポートを書くに当たり「死生観」と検索してみたところ、ウィキペディアに、こう書いてありました。
1.人が死んだらどうなるか?どこへ行くのか?
2.死後や死者をどう捉えるか?
3.生についての人々の考え方や理解の仕方
4.生きることとは何か?死ぬこととは何か?
問いをみたら、自分が難しく考えすぎているなと思いました。何も難しいことではなく、自分が「死」に触れたときに何を考えたのか? また、「生きている」なかで、自分が大切に思っていることは何か? という視点で、書いていけばいいのでしょう。
また、「死生観」のテーマは、様々なところで課題として出されているらしく、検索で辿りついた幾つかのブログでは、その方の身近な体験をもとに、書かれているのを見つけました。
講義では、「キリスト教の死生論」や「仏教の死生論」についても触れていましたが、とくに宗教を持たない日本人としては自由に持論を展開していい国民ではないかとも思えてきたので、この機会に私なりに考えてみることにしました。
私にとって、身近な「死」とはどこだろうか? と考えてみたところ、15歳のときの祖母の死でした。15歳ながらも、「死」を観察し、生きるとは何か? について、なんとなく考えたことが蘇ってきました。その時、お葬式を見ながら、自分がどう生きて行くのか? 考えるきっかけの出来事だったことを思い出したのです。
その場では、人とのつながりを感じました。生きている中で、関わってきた人たちが集まっていること。祖母に関しては、社会とのつながりの中で仕事をしてきた人なので、私も社会とつながりたいという思いがそこで芽生えた記憶があります。
つまり、祖母が他界しても、私の中でその記憶は生き続けているのであり、お墓参りも季節ごとに自然と出向く自分は、どことなく、先祖とのつながりを感じていて、どこかで見守ってくれているような気もしているのだろうと思いました。そして、もし自分が死んだら、自分の人生のまとめについて、先に行った人たちにそこで出会ったら、話し合いたいとも思っています。
また、アパレルの店長をしている時に、『生きがいの創造』という本を読み、人生の捉え方が大幅に変わったことを思い出しました。全てのことは必然で、自分の魂が自分の人生の計画を作って生まれてくるという考えに驚きつつも、その考え方を採用してみようと思ったことがあります。
自分の親も自分で決めたと仮定することによって、自分の生まれてきた意味を考えるきっかけとなりました。
接客業をしていた頃、出会いは必然だからお客様も出会いと考えようと思って仕事にあたりました。そうしたら、より仕事に生きがいを感じることができました。自分が結果を出すことを意識すると、気分が上がったり下がったりしていたこともありましたが、お客様に喜んでいただこうと思う方が、毎日の仕事がとても楽しくなりましたし、毎日沢山の人と出会える、接客業について本当によかったと感じることもできました。お店としても、結果的に売り上げアップにつながりました。
出会う人が決まっているのならば、目の前の人は私にきっと必要なのだと思って接するようになりました。出会う人、出会う人、予定通りいい影響を与えてくれると感じています。
結局、「死ぬ時は死ぬときと考え、生きている限り、喜怒哀楽を味わうことを楽しみつつ、今、目の前の人を大切して、つながっていきたいと考えている」という自分の死生観が出てきました。
「死」から「生」を見つめること。
きっと自分が大切にしていることが見えてくるのかと思います。「死生観」というテーマについて考える機会はとても良かったと思いました。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
死生観についてどう思いますか?
この講座での講義テーマでは、今まで考えたことのなかった用語が沢山あり、果たして講座についていけるのかどうかと、最初は心配でしたが、「人間論」、「死生論」、「メンタルケア論」、「スピリチュアルケア」と講義を聴いてみたら、自然と内容が自分に入ってきました。つまり、生きて行く中での普遍のテーマなのだと思います。
レポートを書くに当たり「死生観」と検索してみたところ、ウィキペディアに、こう書いてありました。
1.人が死んだらどうなるか?どこへ行くのか?
2.死後や死者をどう捉えるか?
3.生についての人々の考え方や理解の仕方
4.生きることとは何か?死ぬこととは何か?
問いをみたら、自分が難しく考えすぎているなと思いました。何も難しいことではなく、自分が「死」に触れたときに何を考えたのか? また、「生きている」なかで、自分が大切に思っていることは何か? という視点で、書いていけばいいのでしょう。
また、「死生観」のテーマは、様々なところで課題として出されているらしく、検索で辿りついた幾つかのブログでは、その方の身近な体験をもとに、書かれているのを見つけました。
講義では、「キリスト教の死生論」や「仏教の死生論」についても触れていましたが、とくに宗教を持たない日本人としては自由に持論を展開していい国民ではないかとも思えてきたので、この機会に私なりに考えてみることにしました。
私にとって、身近な「死」とはどこだろうか? と考えてみたところ、15歳のときの祖母の死でした。15歳ながらも、「死」を観察し、生きるとは何か? について、なんとなく考えたことが蘇ってきました。その時、お葬式を見ながら、自分がどう生きて行くのか? 考えるきっかけの出来事だったことを思い出したのです。
その場では、人とのつながりを感じました。生きている中で、関わってきた人たちが集まっていること。祖母に関しては、社会とのつながりの中で仕事をしてきた人なので、私も社会とつながりたいという思いがそこで芽生えた記憶があります。
つまり、祖母が他界しても、私の中でその記憶は生き続けているのであり、お墓参りも季節ごとに自然と出向く自分は、どことなく、先祖とのつながりを感じていて、どこかで見守ってくれているような気もしているのだろうと思いました。そして、もし自分が死んだら、自分の人生のまとめについて、先に行った人たちにそこで出会ったら、話し合いたいとも思っています。
また、アパレルの店長をしている時に、『生きがいの創造』という本を読み、人生の捉え方が大幅に変わったことを思い出しました。全てのことは必然で、自分の魂が自分の人生の計画を作って生まれてくるという考えに驚きつつも、その考え方を採用してみようと思ったことがあります。
自分の親も自分で決めたと仮定することによって、自分の生まれてきた意味を考えるきっかけとなりました。
接客業をしていた頃、出会いは必然だからお客様も出会いと考えようと思って仕事にあたりました。そうしたら、より仕事に生きがいを感じることができました。自分が結果を出すことを意識すると、気分が上がったり下がったりしていたこともありましたが、お客様に喜んでいただこうと思う方が、毎日の仕事がとても楽しくなりましたし、毎日沢山の人と出会える、接客業について本当によかったと感じることもできました。お店としても、結果的に売り上げアップにつながりました。
出会う人が決まっているのならば、目の前の人は私にきっと必要なのだと思って接するようになりました。出会う人、出会う人、予定通りいい影響を与えてくれると感じています。
結局、「死ぬ時は死ぬときと考え、生きている限り、喜怒哀楽を味わうことを楽しみつつ、今、目の前の人を大切して、つながっていきたいと考えている」という自分の死生観が出てきました。
「死」から「生」を見つめること。
きっと自分が大切にしていることが見えてくるのかと思います。「死生観」というテーマについて考える機会はとても良かったと思いました。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
死生観についてどう思いますか?
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
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