先日セッションをしたクライアントさんからメールを頂きました。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
先日はありがとうございました。だいぶ気持ちが整理できました。その後振り返ってみたらひとつ気になったことがありました。「正論のようなものが、自分の考えを混乱させているようだけどどうか?」と堀口さんに質問していただいた場面があったのですが、そういえば、2年前にも、自分は昇任するべきなのかどうか迷っていたとき「べき」という何だか正論に囚われていたのかなと。
最終的にはあとはやるという気持ちだけだと分かって、その後昇進試験を受けましたが、どうも正論というか、こうあった方がいいみたいなものが自分の中に自然とできてしまっているのか、そこにもっていきたい自分がいるのかなと…。思考サイクルが変化していない自分にちょっとがっかりしてしまいました(焦)なぜ、正論のようなものにとらわれるのか、もやもやしています…。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
正論のようなもので、決定するのも自由です。しかし、世間の提案から外れた形での「幸せ感」というのもきっとあるのでしょう。「世間の言うこと」に囚われていたら、自分の本当に望むものを逃してしまう場合もあるのではないかと思うのです。
話していて「・・・すべきだと思うんですよね」とか「・・・した方がいいでしょうか?」と、自然と言葉に出ているときは、きっと本心では、やりたくないことを表わしているのだと、コーチングセッションを通してきて、思えています。
自分が話している時も、「あ、『べき』って言っているから違うんだな」と、私は、すぐ我に返ります。そして、その言葉を「したい」に置き換えてみて、自分の中の感触を確かめてみることもあります。
話していて重い感じとか、それ以上進まない感じがしたら、「ああ、違う」と思い、もっと「したい!」という気持ちになるようなことを、また考え続けるのです。
例えは、「勤めていた方が安心、独立なんて食べていけない」という考えを多くの方が思っていらっしゃるかもしれませんが、私にとっては、「独立したい」「いつでも自由がいい」ということでしたから、独立に向けて準備をしました。独立してからも、「自分が生活できるだけの収入」+「世の中に還元できるものを作るお金」を得るために、人のために役立つこと毎日考えて実行してきました。
独立したら、お勤め時代とは違った楽しみが、沢山あります。今は、好きな時に寝て好きな時に起き、好きな時に旅行する生活です。毎日こうしてブログを書き続けることが、きっとその先へつながる気がしているので書いています。何につながるかよくわからないけれど、私にはそれしかない気がしています。
囚われずにフリーにいた方が、自分の本当の望みが実現していくと思います。つまり、「正論」のようなものは、あまり関係ないのです。お勤めの頃は、むしろ「正論以外を考える」ことに意識を置いていました。どんなポジションでも、常に自分らしさを追求することに力を注ぎました。会社のなかでも、「自分らしく表現する場」は、いくらでもあったと思います。
今もセミナーの準備をしながら、普通の講義の形に囚われないようにしています。
「自分史上でもやったことのない形、自分が参加した講義でも見たことのない形であり、参加する人たちの心に静かに残るもの」という問いを立てて構成を考え中です。
「これは正論。じゃあ、自分はどうしたい?」と問いかけて、自分のしたい方へ是非進んでください。これは、勇気とかじゃなくて、自分に対して嘘がないから、進んだらいいのだと思います。進んだ先で転んだとしても、自分に必要な学びとして、肥やしになると思います。それに、追及したい気持ち、深めたい気持ち、磨きたい気持ちが発揮され、自然と夢中になれるものだと感じています。
「なぜ、正論のようなものにとらわれるのか、もやもやしています…」に対してのお答えとしては、「正論以外の可能性にも目を向けてみる」「自分に嘘をつかない」こと。また、囚われていない人と話すと、思考の枠がパコっと外れると思います。
頭で考えると、うまく正論をまとめ上げて、それを決定に持っていってしまうので、もっと心で感じることです。「心の声」を置き去りにしているのかもしれません。
「自分に嘘をついていないだろうか?」は、じっくり心と照らし合わせないと、見えてこないのです。恐怖があると、頭で考えて心に嘘をついた状態で進むこともあるでしょう。どんどん辛くなって、あとから大爆発になるパターンです。結局、爆発するのなら、最初からそう思ったところへ進んだ方が、あまり爆発にならないと思います。
心の声を聴くには「問いかけ」が大事だと思います。問いかけずに、条件を列挙して自分を説得するというのとは、違います。「どうしたいの?」と聴くことですね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
どんな形が自分らしくできそうですか?
□■□■□■□■□
■セミナーのお知らせ
★6月23日(土) 「聴くことは幸せにつながる」セミナー。
「相手の存在価値をそのまま生かす対話とは?」を軸に考える講義スタイルのセミナー。
★7月7日(土)夏コミコレクションテーマ「曖昧」
『曖昧』という漢字を見ると発見がありました。曖昧は、お日様のような、ただそこにある愛を表しているのかもしれません。そこからディスカッションが、始まりそうです。『曖昧』を体験した時に感じる気持ち、感覚を味わえるコミコレにしたいと思っています。
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先日はありがとうございました。だいぶ気持ちが整理できました。その後振り返ってみたらひとつ気になったことがありました。「正論のようなものが、自分の考えを混乱させているようだけどどうか?」と堀口さんに質問していただいた場面があったのですが、そういえば、2年前にも、自分は昇任するべきなのかどうか迷っていたとき「べき」という何だか正論に囚われていたのかなと。
最終的にはあとはやるという気持ちだけだと分かって、その後昇進試験を受けましたが、どうも正論というか、こうあった方がいいみたいなものが自分の中に自然とできてしまっているのか、そこにもっていきたい自分がいるのかなと…。思考サイクルが変化していない自分にちょっとがっかりしてしまいました(焦)なぜ、正論のようなものにとらわれるのか、もやもやしています…。
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正論のようなもので、決定するのも自由です。しかし、世間の提案から外れた形での「幸せ感」というのもきっとあるのでしょう。「世間の言うこと」に囚われていたら、自分の本当に望むものを逃してしまう場合もあるのではないかと思うのです。
話していて「・・・すべきだと思うんですよね」とか「・・・した方がいいでしょうか?」と、自然と言葉に出ているときは、きっと本心では、やりたくないことを表わしているのだと、コーチングセッションを通してきて、思えています。
自分が話している時も、「あ、『べき』って言っているから違うんだな」と、私は、すぐ我に返ります。そして、その言葉を「したい」に置き換えてみて、自分の中の感触を確かめてみることもあります。
話していて重い感じとか、それ以上進まない感じがしたら、「ああ、違う」と思い、もっと「したい!」という気持ちになるようなことを、また考え続けるのです。
例えは、「勤めていた方が安心、独立なんて食べていけない」という考えを多くの方が思っていらっしゃるかもしれませんが、私にとっては、「独立したい」「いつでも自由がいい」ということでしたから、独立に向けて準備をしました。独立してからも、「自分が生活できるだけの収入」+「世の中に還元できるものを作るお金」を得るために、人のために役立つこと毎日考えて実行してきました。
独立したら、お勤め時代とは違った楽しみが、沢山あります。今は、好きな時に寝て好きな時に起き、好きな時に旅行する生活です。毎日こうしてブログを書き続けることが、きっとその先へつながる気がしているので書いています。何につながるかよくわからないけれど、私にはそれしかない気がしています。
囚われずにフリーにいた方が、自分の本当の望みが実現していくと思います。つまり、「正論」のようなものは、あまり関係ないのです。お勤めの頃は、むしろ「正論以外を考える」ことに意識を置いていました。どんなポジションでも、常に自分らしさを追求することに力を注ぎました。会社のなかでも、「自分らしく表現する場」は、いくらでもあったと思います。
今もセミナーの準備をしながら、普通の講義の形に囚われないようにしています。
「自分史上でもやったことのない形、自分が参加した講義でも見たことのない形であり、参加する人たちの心に静かに残るもの」という問いを立てて構成を考え中です。
「これは正論。じゃあ、自分はどうしたい?」と問いかけて、自分のしたい方へ是非進んでください。これは、勇気とかじゃなくて、自分に対して嘘がないから、進んだらいいのだと思います。進んだ先で転んだとしても、自分に必要な学びとして、肥やしになると思います。それに、追及したい気持ち、深めたい気持ち、磨きたい気持ちが発揮され、自然と夢中になれるものだと感じています。
「なぜ、正論のようなものにとらわれるのか、もやもやしています…」に対してのお答えとしては、「正論以外の可能性にも目を向けてみる」「自分に嘘をつかない」こと。また、囚われていない人と話すと、思考の枠がパコっと外れると思います。
頭で考えると、うまく正論をまとめ上げて、それを決定に持っていってしまうので、もっと心で感じることです。「心の声」を置き去りにしているのかもしれません。
「自分に嘘をついていないだろうか?」は、じっくり心と照らし合わせないと、見えてこないのです。恐怖があると、頭で考えて心に嘘をついた状態で進むこともあるでしょう。どんどん辛くなって、あとから大爆発になるパターンです。結局、爆発するのなら、最初からそう思ったところへ進んだ方が、あまり爆発にならないと思います。
心の声を聴くには「問いかけ」が大事だと思います。問いかけずに、条件を列挙して自分を説得するというのとは、違います。「どうしたいの?」と聴くことですね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
どんな形が自分らしくできそうですか?
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■セミナーのお知らせ
★6月23日(土) 「聴くことは幸せにつながる」セミナー。
「相手の存在価値をそのまま生かす対話とは?」を軸に考える講義スタイルのセミナー。
★7月7日(土)夏コミコレクションテーマ「曖昧」
『曖昧』という漢字を見ると発見がありました。曖昧は、お日様のような、ただそこにある愛を表しているのかもしれません。そこからディスカッションが、始まりそうです。『曖昧』を体験した時に感じる気持ち、感覚を味わえるコミコレにしたいと思っています。
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