先日、大学生以来、『星の王子さま』を読みました。あの時は、フランス語の授業で読み進めたのですが、フランス語が分からなくて、日本語で読みなおそうと、読んだのですが、日本語でもわからなかったという・・・。(笑)自分の読解力のなさというよりも、文学って深いなぁと思って、終わらせていたのだろうと思います。
しかし、今回読んでみて、最初の大蛇に食べられたゾウの部分から、なるほどと思えました。物事を見る時には、そういう目で見ることが大事なのだなと。
実際、3歳の姪っ子と遊んでいても感じることです。彼女はわからない言葉の方がまだ多いですから、大人が何かごちゃごちゃ話していると、「うるさいよ」とか「そんなに早口でわかるの?」とか、言ってきます。
言葉の意味よりも、その雰囲気を捉えているのだなと、感じます。その「雰囲気を捉える」という感性は、コーチングをするときにも大切で、その言葉だけでなく、全体像で眺める視点でも考えるようにしています。
『星の王子さま』では、特にバラと王子さまとの関係が心に染みるシーンです。
「言葉じゃなくてバラのしてくれたことで、ぼくは見るべきだった」が、私の中では、星の王子さまで一番ヒットした台詞です。
対話や毎日ブログを書いていて思うのですが、ゆっくりと言葉を選びながら話さないと、本当の言葉は、なかなか出てこないようです。早口なほど、なんか違うなという感触がします。
「人は、しゃれたことを言おうとすると、つい嘘が混じってしまうことがある」「言葉は誤解のもとだから」。この台詞も確信をついてきます。
以前の私は、「言葉で言ってくれなくちゃ分からない」と、言葉数の少ない人に対して思っていたことがありました。そんな風に考えるところがあったから、『星の王子さま』を読んでも、私は入ってこなかったのだと今思います。
また、ビジネスにおいて、相手へのインパクトを考えるようになって、自分の言葉よりも、少し大げさなキャッチーな表現を探してしまったり、マーケティングの本を読んで、この方がキャッチーだから、この言葉を使ってみよう、とかしているうちに、どんどん本当の自分と乖離して行ったのでしょう…。 アウトプットすることがとても辛く感じ、怖くなることもありました。
自分が自分の言葉を使っていないことに気づいていなくて、周りは見てくれていないんじゃないかと感じてしまい、どんどん自分を辛くしていきました。自分を辛くしていたのは、まぎれもなくこの自分だったのですね。
本当の言葉を選ぶのには、まだ時間がかかります。
「感じました」なのか、「思いました」なのか、「考えました」なのか。
ここをきちんと分けることができるようになったのも、つい最近のことです。
では、どうしたら本当の言葉になっていくのでしょうか?
それには、表面的に発している言葉の奥を見て行くことがひとつだと思います。それが「目には見えない大切なもの」なのではないかと思っています。
先日のセッションで、「相手を『ぎゃふん』と言わせたい気持ちがあるのでは?」という話になって、じゃあ、その「ぎゃふん」って本当のところ、何なのか? ともっと深めていくことにしました。
なぜ、深めようと思ったのかと言うと、本当の言葉は、誰しもニュートラルなのではないかと、私は考えているからです。「ぎゃふん」はニュートラルではないから、「ぎゃふん」の下層にある、「思い」その下にある「願い」まで着目してみることにしました。
相手をぎゃふんと言わせたい。
↓
相手に知って欲しいこと、伝えたいことがある。
↓
もっと会社に○○を反映させたい。
↓
そのために自分ができることを考える。
↓
今、○○の勉強し始めている。
↓
ぎゃふんとは、○○に気づいて欲しいということなのかもしれない。
↓
つまり、「自分が仕事で力を発揮できている」状態をもっと高めることができたら、
実現させたい世界がある。
ということで、最後は相手に対しての「ぎゃふん」が自分の欲求へとつながり、実現させたい世界観へとつながっていきました。
こうして、じっくりと考えて行けば、自分の「思い」につながり、やがて、みんなを思う「願い」へとつながっていることに気づけるのです。これが、本当のモチベーションになるのではないかと、私は考えています。
自分に気づくには、いつも自分の言葉を慎重に選んでいくことです。時間はかかるものかもしれませんが、そういうもののような気がしています。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
自分の言葉とは何ですか?
しかし、今回読んでみて、最初の大蛇に食べられたゾウの部分から、なるほどと思えました。物事を見る時には、そういう目で見ることが大事なのだなと。
実際、3歳の姪っ子と遊んでいても感じることです。彼女はわからない言葉の方がまだ多いですから、大人が何かごちゃごちゃ話していると、「うるさいよ」とか「そんなに早口でわかるの?」とか、言ってきます。
言葉の意味よりも、その雰囲気を捉えているのだなと、感じます。その「雰囲気を捉える」という感性は、コーチングをするときにも大切で、その言葉だけでなく、全体像で眺める視点でも考えるようにしています。
『星の王子さま』では、特にバラと王子さまとの関係が心に染みるシーンです。
「言葉じゃなくてバラのしてくれたことで、ぼくは見るべきだった」が、私の中では、星の王子さまで一番ヒットした台詞です。
対話や毎日ブログを書いていて思うのですが、ゆっくりと言葉を選びながら話さないと、本当の言葉は、なかなか出てこないようです。早口なほど、なんか違うなという感触がします。
「人は、しゃれたことを言おうとすると、つい嘘が混じってしまうことがある」「言葉は誤解のもとだから」。この台詞も確信をついてきます。
以前の私は、「言葉で言ってくれなくちゃ分からない」と、言葉数の少ない人に対して思っていたことがありました。そんな風に考えるところがあったから、『星の王子さま』を読んでも、私は入ってこなかったのだと今思います。
また、ビジネスにおいて、相手へのインパクトを考えるようになって、自分の言葉よりも、少し大げさなキャッチーな表現を探してしまったり、マーケティングの本を読んで、この方がキャッチーだから、この言葉を使ってみよう、とかしているうちに、どんどん本当の自分と乖離して行ったのでしょう…。 アウトプットすることがとても辛く感じ、怖くなることもありました。
自分が自分の言葉を使っていないことに気づいていなくて、周りは見てくれていないんじゃないかと感じてしまい、どんどん自分を辛くしていきました。自分を辛くしていたのは、まぎれもなくこの自分だったのですね。
本当の言葉を選ぶのには、まだ時間がかかります。
「感じました」なのか、「思いました」なのか、「考えました」なのか。
ここをきちんと分けることができるようになったのも、つい最近のことです。
では、どうしたら本当の言葉になっていくのでしょうか?
それには、表面的に発している言葉の奥を見て行くことがひとつだと思います。それが「目には見えない大切なもの」なのではないかと思っています。
先日のセッションで、「相手を『ぎゃふん』と言わせたい気持ちがあるのでは?」という話になって、じゃあ、その「ぎゃふん」って本当のところ、何なのか? ともっと深めていくことにしました。
なぜ、深めようと思ったのかと言うと、本当の言葉は、誰しもニュートラルなのではないかと、私は考えているからです。「ぎゃふん」はニュートラルではないから、「ぎゃふん」の下層にある、「思い」その下にある「願い」まで着目してみることにしました。
相手をぎゃふんと言わせたい。
↓
相手に知って欲しいこと、伝えたいことがある。
↓
もっと会社に○○を反映させたい。
↓
そのために自分ができることを考える。
↓
今、○○の勉強し始めている。
↓
ぎゃふんとは、○○に気づいて欲しいということなのかもしれない。
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つまり、「自分が仕事で力を発揮できている」状態をもっと高めることができたら、
実現させたい世界がある。
ということで、最後は相手に対しての「ぎゃふん」が自分の欲求へとつながり、実現させたい世界観へとつながっていきました。
こうして、じっくりと考えて行けば、自分の「思い」につながり、やがて、みんなを思う「願い」へとつながっていることに気づけるのです。これが、本当のモチベーションになるのではないかと、私は考えています。
自分に気づくには、いつも自分の言葉を慎重に選んでいくことです。時間はかかるものかもしれませんが、そういうもののような気がしています。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
自分の言葉とは何ですか?
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