過去のことを手放すとき。

「自分を変えたい」と人が思うのはどんなタイミングなのか? 

 私が、人生で初めてそう思ったのは、大学時代のアルバイトでの面接でした。最初、人前に出ない仕事がしたいと思ったので、ファミレスの厨房希望で面接を受けに行きました。しかし、面接時に40分くらい「ウエイトレスの方が向いている」と社員さんに説得されて、流れに逆らわず、そのまま「私で大丈夫ですか? そこまで言うならやります」と返答して、ウエイトレスになりました。

 ここでの選択が、今の仕事につながっています。神様からのメッセージというのは、人から受け取るのですね。

 その頃、本来の自分を隠した、内向的な性格になっている自分を気にしていたのだと思います。だからか、自分を変えるきっかけが、むこうからやってきたのでしょうか。
 その体験から、いつでも変わりたいと思う自分があるなら、どんどん変化していけばいいと思えるようになりました。

 私が思う「変わる」は、どんどん自分らしさに近づいていく感覚です。そのままの自分でいられるので、生きることが楽になっていくように感じます。

 私は、その都度、過去を手放し、新しい自分にOKを出して進んできたのだと思います。
 しかし、うまく手放せなかった過去は、今になって、また感情としてやってくるようです。その時は、再び過去に戻って、その頃の気持ち、感情、考えを追体験して、今、昇華するようにして、決別してきました。

 この2年間は、だいぶそんなことばかりをしてきて、ついに、「今の自分」のままで進んでいくだけでいいと、思えています。辛い感情が、最近はほとんど出てこなくなったのです。だから、過去に浸る時間がほぼなくなり、「今を生きる」だけでいられます。


 あるクライアントさんが、「自分を変えたくて、3年前からセミナーに行ったり、本を読んだりするようになった」とおっしゃっていました。

 今とその頃と比べると、「在り方」のところでみると、なりたい自分になってきたようです。自分自身に責任を持って生きていて、一瞬一瞬、手を抜かずに、しっかりとやる自分へと変化です。過去は、適当にやっている日々もあったと言っていました。特に、取り組むときの意識が変わったようです。


 私とのセッションでは、主に「過去の気になっていること」の話が毎回のように登場していました。高校の時の進路の選択が、親の反対を受けて、行きたくない方向へ行ったこと。だから、3年間の高校生活は悲しい思い出になっていると…。どうしてもいつもその話が出てきてしまうのです。

 「やりたいことはできないんだ」という思い込みが、根づいているのか? 
やりたいと思って選んだ仕事も、途中から、「どうせ、パートだから、やりたいようにやらせてもらえないんだ」となったり、「知人から、『やりたいことができるから』と、声をかけてもらった仕事も、途中から、やりたいことをできるのは、まだ数年かかりそうだ、やっぱり、やりたいことはできないんだ」となったりする。

 その思い込みの裾野は、さらに広がりを見せ、「できなかった現実は変わらないのだから、できないことで、よかったと思えることを探そう」→「できなかったからこそ、よかったことがある」という、無理矢理ポジティブな、ややこしい考え方に発展していました。

 潜在意識は単純ですから、「できないことは、いいことだ」と理解してしまうでしょう。
 となると、ずっと「できない」ことは続いて行くのではないでしょうか。
どこかで、高校時代の進路についての悲しい思い出を断ち切らなくてはいけません。

 
 そして、今回のセッションは、ついに「過去を手放す」セッションになったと、セッションのエンディングで気づきました。

 高校時代の「悲しかった」は、もっと過去にもさかのぼり、子供時代の「悲しかった」まで続いていました。そこは、昨年のセッションで向き合いました。
 すると、段々と視界が良好になっていき、やってみたかったことが、他人から声をかけてもらう形で、昨年の後半だけで、3つも叶ったのです。

 既に、3つ叶ったのならば、「変わりたい」と思っていた自分に変われたことが、結果として表れたのだと思います。

 つまり、もう過去のことは、過去のこと。これからは、ただ、目の前のことを一生懸命に取り組んでいけば、自然と開けていくイメージが広がっていきました。


 「もう、今の自分のまま進んでいけば、未来も大丈夫」。
今日のセッションは、きっと、その言葉が欲しかったのだろうと思います。

 過去を断ち切るって、こういうことなんだ・・・・と、セッションのフィードバックシートを書きながら、私も感慨深いものを感じました。


今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

気になる過去はありますか?