【告白・勘違い自立だった。】

最近、気づいたのですが、


自立していそうで、実は自立していないのではないか?


という時期が私にあった。ということに気づきました。


そんな過去の自分を「勘違い自立」という言葉がシックリきます。


こういう人は、目標は、ガンガン達成します。


だけど、実は、その頑張る先は、目標達成のためとか、


給料が上がるとか、誰かに認めてもらう。とか


そういうところにあるので、頑張れるわけです。



たとえば、相手に喜んでもらえることが、喜びだから、


頑張ります。って言う人は、


相手が、なんの反応もないと、空しさが残り、


なんで、なの?となり、


報われていない自分が次第に嫌いになってしまいます。





そもそも、頑張っている。という言葉自体が、本当は辛いです。



私も、そうでした。



2003年ごろ、アパレルの店長をしていた、私は、


店長の仕事を勉強したい。と言って、会社にそういう場を


与えてほしい。と要求しました。


マクドナルドでは、ハンバーガー大学があって、


当然のように、マネジメントについて本部で、学べる機会もあったり、


店舗では、DVD。マニュアル、ビデオが揃っていましたので、


いつでも、困ったら勉強できたわけです。


そういうモノ自体が、会社にないなんて、なんてことだ!と


思っていました。(完全に依存です)



だから、私もそういう場をいただければ、もっとやれる。と


だから、研修費10万円を経費で落とせないか?と上司に言いました。



その時の周りの人からは、


「エライ!向上心の塊だね。よく、そんなこと言えたね。」


「なんで、受け入れてくれなかったんだろうねぇ。」と


なってしまうでしょうが、それは、周りの仲間も自立してそうで、


実は、依存している仲間だったからです。



いまの、自分が過去の自分にアドバイスするならば、


「自分が本当に学びたければ、自分で自己投資してやるのが、


 人に依存しないって、ことじゃないですか?」って言います。



なんでも、与えてもらうのが、当然。と思っていた自分が、


本当に浅はかだったなぁ。と思います。



そして、その願いは、却下され、上司は、他にアドバイスをくれました。


「感性を磨きなさい。」と。


そのことばの意味に、すぐには気づきませんでした。


普段の生活のなかで、五感を働かせれば、勉強になるということでした。


たとえば、購買心理だってそうです。


なぜ、自分がモノを買ったのか?ということ自体も勉強になります。


なぜ、このお店に入っちゃったのだろう?


なぜ、この本のタイトルに惹かれたんだろう?


なぜ、この人に惹かれたんだろう?


なぜ、この商品が人気があるんだろう?


毎日の生活を、何故?の連続にするだけだったのです。



本当に、却下されて、よかったです。


相手に期待をしないことで、随分楽になりましたから。


私は、基本的には、相手へ期待しないようにしています。


自分がいつも期待以上のことをすればいいだけだな!って


思っています。


自立していたと思っていたけど、依存していた自分。


アパレルで店長をやったときに、上司から全然連絡もないし、


お店も来ないし、フォローもないので、あきらめたんです。


「自分のことは、自分で認めよう!」


そして、「自分を応援してくれる人がつくような自分になればいいや!」って。


2004年の春くらいから、そう思うようになったと思います。


今思うと、春夏秋冬理論の、丁度、春3年目。


「創造と破壊」でした。