先日の日曜日に第2回 ”Sunday Hitomi Service” オンラインミサをしました。まだ、ジングル(テーマソング的なもの)ができていないので、代わりにモノマネ対応で、井上陽水『少年時代』を歌唱しました。音だけを聞いた方は、私が歌っているとは気づかなかった人もいたそうです。私としては、自我を消すことがモノマネだと思っています。「ひとみを入れないように!」とボイトレの先生に言われたときに、なるほど!と思いました。
2回目のテーマは「復習とは?」から。「復習をする」ことは継続していく上で大切にしたい習慣だからです。身体に覚えさせるまで、何度もリピートをすることが習慣になっているという話をしました。復習の話から、いつのまにか「何もしないとは何か?」という話に。
よく「何もしないってどうするんですか?」と聞かれることがあり、自分の体験談をシェアしてきたのですが、今まで一番しっくりくる回答ができた気がしないでいました。ところがこの日、ついに私の答えが出てきたので、自分でも驚きました。
「何もしないと言っても、完全に何もしていないわけではないんです」と長いリピーターのクライアントさんが私の様子を見てそう思ったそうです。その問いかけから私が気づいたのは、「いまここでないことはしない」ということでした。
それが、「何もしない」の定義です。つまり今を生きること。
南の島へ旅行に行くのに、なぜかたくさんの本をもっていったり、セッションの予約を受付たり、東京で考えればいいことなのに、わざわざ南の島へ課題を持っていったり、過去の私はそんなことばかりしていました。それは「今を生きていない」人のすることです。私と同じく与論島が舞台の『めがね』はそういう今を生きていない人が心境の変化をしていく映画でシンクロしていて驚きました。
こんな自分を客観視した後から、「自己基盤」の見直しを私はしていくことになりました。色々な課題を自分に与えました。自己基盤を整えるのに5年以上かかったと思います。そこを抜けて「楽」な感じになっていきました。
「何もしない=今でないことをしない」。これを意識してみるとどうなるでしょうか?
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