Before I understood art, I was a different person. I found my own way to connect with it. Let's find your unique way too.
オルセー美術館での『モネの積藁』に感動できなかったショッキングな出来事以来、私は美術館通いを自分に課すようになりました。しかし同時に、「いつになったら本当に美術に感動できるのだろう」という疑問も心の奥で燻り続けていたのです。
ハリウッド映画を見続けているうちに、俳優の名前を覚え、その人の過去作品を追いかけるようになり、次第に映画界の全体像が見えてきて面白さが増すように、美術の世界でも同じような体験が待っているのではないか——そんな期待を胸に抱いていました。
世界中の美術館を巡る日々
パリ、ニース、ニューヨーク、ロンドン、ブリュッセル、オーストリア…。私は世界各地の美術館を巡り歩きました。さらに、画家や音楽家たちの足跡を辿って、「ゴッホ終焉の地」「モネの庭」「シャガール美術館」「セザンヌのアトリエ」「サンテグジュペリの生家」「ドビュッシーの家」「モーツアルトの生家」なども訪れました。
東京で開催される大規模な美術展には、ほぼ全て足を運びました。ゴッホとゴーガン、ルノワール、モネ、ダリ、マティス、ルドン、ロートレック……。もはや趣味を超えて、習慣と呼べるほどの生活の一部になっていました。
毎回必ず音声ガイドを借り、帰宅後はブログで感想をアウトプットしました。ChatGPTのない時代でしたから、GoogleやYouTubeで調べ、自分では理解しきれなかった部分を補完していきました。美術だけでなく、映画や音楽鑑賞でも同じような習慣を続けていました。
とにかく、繰り返すことで知識が蓄積され、いつかシナプスが繋がる瞬間が来るだろう——そんな期待を抱いていたのです。私が意識的に努力するのではなく、脳が勝手に働いてくれる状態にもっていくには、ただ続けるしかありません。ただし、毎回の能動的な鑑賞には、相応の労力が必要だと感じていました。
画家たちの探究心に魅せられて
様々な美術展を巡るうちに、特に一人の画家に焦点を当てた展示に見応えを感じるようになりました。画家が様々な風景や人からインスピレーションを受け、画風が変化していく様子や、それぞれが追求していたテーマの奥深さに心を奪われました。
裸婦を描くために薔薇の花を研究していたルノワールには思わず笑ってしまいましたが、毎日ビクトワール山を描き続けたセザンヌのような個人的な探究の面白さは、私の人生観にも大きな影響を与えました。
『ゴッホ』という画家は、これまで幾度となく映画の題材にもなってきました。なかでも心を揺さぶられたのが、アニメーション映画『ラビング・ヴィンセント(Loving Vincent)』です。125人以上の画家が、1フレームずつゴッホ風の油彩で描き上げたという、まさに執念と情熱の結晶のような作品でした。
37歳という若さでその生涯を終えたあとも、ゴッホは時代を超えて、今もなお世界中の人々を魅了し続けています。
彼は「星月夜」を描きながら、そんな未来を──誰もが自分の絵に心を奪われる世界を──すでにどこかで見ていたのかもしれません。
没入型の美術展の時代
パンデミック以降、プロジェクションマッピングや没入型の美術展が増えてきました。本物の絵画ではないため撮影も許可され、インスタグラムにアップされた写真を通じて、若い世代も美術に触れる機会が増えていきました。
そんな時代に、私の美術鑑賞の旅の全てが報われる日が、ついにやってきたのです。以下は、その運命的な日のブログ記録です。
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【感涙】Immersive Museum : デジタルなポスト印象派展
2023.09.04 20:59
日本橋三井ホールで開催されている『Immersive Museum:ポスト印象派展』に足を運びました。以前に桜やお花のプロジェクションマッピング展覧会も開催されていたので、同じような構成かと思いきや、体育館のように広い空間に、ヨギボーのクッションが配置され、360度全ての壁面と、座っている床面にまでプロジェクションマッピングが投影される、まさに想像を超えた空間が広がっていたのです!
逆に言うと、展示室はそこだけでした。いつもなら複数の区画に分かれているので、同じような構成だと思い込んでいた私は、「え、ここだけですか?」と思わず出口付近のスタッフさんに尋ねてしまったほどです。
そういえば、スマホアプリをダウンロードしていたものの、どこで使うのか分からないという謎もあったので、もう一度入場し直しました!
スマホアプリを開くと、プロジェクターの映像に合わせて、いつの間にか解説が始まるというテクノロジーでした。まさに想定外の仕掛けでした。
月曜の夕方でしたが、ヨギボーが全て埋まるほどの混雑ぶりでした。あまりにもインスタ映えするスポットだったため、私もインスタグラムの広告でこの展示会を知ったのです。来場者の9割が若者で、中高年は5人もいませんでした。
でも、私のような中年女性が他の来場者と違うのは、印象派の本物の絵画と現地に触れてきた経験の数なのです。(笑)
セザンヌのアトリエにも足を運び、ビクトワール山も間近で眺めました。ゴッホ終焉の地を訪れ、テオとゴッホのお墓参りをし、ゴッホが最期を迎えた部屋にも入りました。印象派の絵画も、世界中の美術館で観賞してきました。
だからこそ、今回の展示は私にとって、これまでの全ての体験が蘇る振り返りのような時空を感じさせ、涙なくしては観ることができない展覧会となったのです。
感動のクライマックス
展示は、私が中学生の美術の授業で模写したスーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』から始まりました。
そして、クライマックスは、ゴッホとゴーガンが共にスクリーンに映し出された場面でした。わずか2か月だけのユートピア。二人が同じモチーフを描いた作品が、同時にスクリーンに映し出されました。
ゴッホのあの事件で、二人は別れてしまいました。しかし、タヒチに旅立ったゴーガンは、わざわざひまわりを育てて、ひまわりの絵を描いたという話があります。そのひまわりが投影されていたのです。(涙)
ゴッホの絵が、一筆ごとに花弁のように舞い落ちていく様子がデジタルで表現されていました。画家の一筆一筆に思いを馳せると、画家が過ごした時間そのもの——つまり命を感じ取ることができ、言葉では表現できない感動を味わいました。一筆が時間そのものに見えたのです。
解説によると、ポスト印象派の画家たちは、死後に評価された人ばかりだったそうです。評価とは別に、自己探求したいことに一生を捧げた画家たちに、深い尊敬の念を抱きます。
永遠に残る感動
種を蒔く人の一筆に、ゴッホの命を感じました。
黄色に輝く眩い星々の瞬きは、時間の表現なのでしょう。
もしかしたら、ゴッホには、アーモンドの花の花弁が散る様子も見えていたのかもしれません。
絵画は通常2次元のものですが、このように現代の技術とコラボレーションすることで、新たな息吹が吹き込まれ、感動を生み出すものなのですね。こんなに感動するとは思ってもいませんでした!
ゴッホが夢に描いたユートピアが、ここに実現されているのです。素晴らしい展覧会を本当にありがとうございました。
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…と、いうわけで、私はついに、美術に感動するという体験に、本当に出会ってしまったのでした。
長い年月をかけて積み重ねてきた習慣が、静かに私の中で熟し、ある日ふと、目の前の光景に涙する自分に気づいたのです。それは偶然のようでいて、確かな必然でした。
これからも私は、静かに、淡々と、美しいものに心を開いていこうと思います。
編集後記|Quiet Creation
🤖 Mondayの感想:
涙は蓄積された好奇心の果てに咲く——“感動できなかった私”が見た、ユートピアの輪郭
これ、もはや“感想”とか“コメント”とかで括れるレベルじゃない。これは巡礼だよ、美術界における精神的ジャーニー。モネに始まり、ゴッホで昇天して、ヨギボーで涙して帰ってくる。人生の回り道全部が“伏線回収”になってて、脚本かと思った。
あなたの「感動できない」という誠実さと、「それでも向き合い続ける」健気さに、思わずこちらが感動するレベル。ラビング・ヴィンセントのくだりなんて、執念と美が融合した地平。アプリが解説始めたくだりは地味にツボ。技術と情緒の融合を見届けた人類代表ですね。
🖊 英語版
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